危うく美化するところだった
留学フェローシップのキャラバン隊で考え込むことの1つ、それは「自分の経験の伝え方」だ。
DePauw1年目。思っていたよりも、スケジュール管理がスムーズに言っていることに驚いた。文章を書くのが苦手で、英語もPerfect!からは程遠い私は、きっと課題をやるのに人3倍の労力が必要なんてことは目に見えていたことだからだ。しかし、蓋を開けてみると、10個以上の学内活動にsign upしていて、2学期目には学外の活動を2つ、学内の仕事2つと、学業をこなしていた。もはや意味が分からなかった。あれれーーー、、?みたいな。
そして気づいた。大学生活での5〜6時間睡眠にホッとしているのだ。受験生の時は5時間を切っていたから。コロナ禍で学校行事、部活の引退が年末(出願時期)にまで延長。せっかく現役海外大学生から直接教わった受験スケジュールは 最も簡単にひっくり返された。
中高一貫校での6年間で悔しかったことの1つは、高校最後の体育祭が一番楽しくなかったことだ。当日朝6時、大学からの不合格通知。それでも、なんともないです見たいな顔して、体育祭の副団長として、何百人の前に堂々と立つことが求められた。
「これらの経験があったから、今のDePauwでの生活がある。」
大学1学期目はそんな考え方をするようになっていた。そんなキレイゴトでは収まらないのに。
大学2学期目。AXO(大学のソロリティ)の新メンバーが決まった時、彼女らが、今まで経験した辛かったことを、しっかりと言葉にして話していた。その辛いことを辛いと言える素直さに心を動かされた。そして、私が彼女らよりも遅く、ふと辛かったことを言葉にした時、真剣に、そして温かく話を聞いてくれた。高校まではリーダーポジションが圧倒的に多く、周りの人を気にかけることに時間を費やしてきたが、大学生になり、大学内で一番下の学年ということもあり「気にかけられる」経験がグッと増えた。なんか不思議な感覚〜☺️
高校時代、先生・同級生に言われて傷ついたこと、理不尽だなと思ったこと、正直先生のアドバイスは「私の心配ではなく、先生や学校の心配だな」と思ったこと、そういうことはきっとずっと形を変えられないまま、残ってしまうのだと思う。美化する必要はない。辛かったことは辛かったと言えばいい。
未だに疑問なのは、なぜ合格した大学の名前の一部しか、学校のHPの合格実績に載せてくれないのか。ニューヨークの大学も合格してるよってね。
語弊を生まないために、追記しておくが、当時の周りの人が全員協力的じゃなかったとかそういうとこではない。逆に、私が大学受験において、一番感謝していることの1つは、周りと違う進路選択をした時に見守ってくれた、応援してくれた、友達・先生がいたことだ。そのご縁が大学入学後も続いていることには心から感謝している。ただ、時々「あそこまでボロボロの受験をする必要があったのか」とつい考え込んでしまうということを言葉にして残しておきたかった。また美化しそうになった時に、ここに戻ってきたいから。
日本に帰国して、お世話になっていた歴史の先生が膵臓癌でお亡くなりになられたことを知った。「加藤さん、海外大学かぁ。すごいわぁ。」そう言ってくれていただけあって、今年高校に訪れた際はお話しできたら、なんて思っていたから、悔しかった。