米リベラルアーツ大学への出願を終えて
1月16日、12時過ぎ。15日が締め切りだったCommon Appを9校に提出し終わり、やっとひと段落できるという嬉しさと疲労感が混ざって寝られずに、2時に就寝。
起きたら、DePauw Universityからメールが来ていた。睡眠時間が短かったのと、寝ぼけていたので、メールの文章を読んでも頭の中は「?」だった。再読後「DePauwに受かったんだ、、、」に脳内の文字が変わり、ちょっと嬉しくなった。←びっくりしすぎて実感がなかった。
2月の上旬まで学校のテストがあったから、バタバタしていたけど、卒業式まで高校に通学しない今、受験期を振り返るようになった。
私が通っている高校の同じコースから、今まで純ジャパとして、海外大学に進学した人はいなかった。私は、海外大学進学専門塾は経済的負担が発生するから行けなかったし、塾=合格を保障する場とは思っていないので、行かなくてよかった。無料のプログラムには落ちた。だから、受験を決めてから出願までの期間、自分の状況を理解してくれる人があまりいなかった。海外大学進学を進路の選択肢に入れている人が多い学校にいたらもっと楽だったかなと感じたこともあった。でもそれと同時に、今通っている高校、今在籍しているコースにいなかったら、海外大学進学は目指してなかったのかもしれないとも思った。今まで自分がした選択のうち、どれか1つでも抜けていたら海外大学を目指す私には出会えていなかったと思う。些細な選択であれ、重要な選択であれ、1つ1つの「何かを選んだ経験」が「私」を作ったからだ。
私の通う高校は大学の付属校だったが、他大学への受験をしながら、内部推薦を保持することはできなかった。海外大受ける代わりに内部進学できる権利は剥奪OR内部進学できる代わりに海外大受験は諦める、どっちか選んでねという状態だった。先生には、なんであなたは、GPA(学校の成績)が十分にあって、内部進学でどの学部にもいけるのに、海外大学を志望するのかと言われた。でも、最終的に、第一希望その他で進路希望用紙を提出した。(内部進学者が99%の私のコースでは、他大学=その他になる。)
なぜ最後までめげずに、アメリカのリベラルアーツ大学の受験を続けられたのだろうか?今思いつくのは、以下の特徴が自分の中にあったからだと思う。
中学2年生の頃から、正しさを疑う作業をしていた。私がやっていたのは、
誰かの意見を聞く→その意見に賛成していたとしても、無理やり賛成しない考えを絞り出す→賛成している自分の意見と新しく考え出した批判的な意見をバトルさせる
を繰り返していた。バトルさせるというのは、なんでAの意見が正しいのか、なんでBの意見は正しくないのかや、Bの意見が正しくなる時はいつかなどを考える作業のことを指す。
例えば、人の話は耳だけではなく、心で聴くことが大切だと話して下さった人がいた。私もこの意見には賛成していた。でも「心で聴くことが大切ではない。」場合はどんな時だろうかと、あえて自分の意見とは違う意見を頭の中に提示させてみた。この場合、話している人が、形だけ整っている話し方だなと感じた時は「心で聴く」はしない方がいいのではなど、本来の自分が考えなかったであろう思考を生み出す練習をしていた。
賛成した自分の意見とあえて作った反論を”脳内バトル”させた結果、私はこの言葉に賛成しようと思った。疑われ、バトらさせた思考の信頼性は強くなる。よって、この時の私は、自分の考えに納得し、信頼できる状態にいる。
これを繰り返し行うことで、信じられる思考を複数獲得し、進路選択をする際、自分の考え方に自信がなくなることを少し防げたと思っている。
例えば、進路選択あるあるとして「良い大学に入る」を意識することが挙げられる。私は、一般的に言われている良い大学をいいと思っていなかった。というより、ある人にとっては良い大学だと思うけど、ある人にとっては良い大学ではないと思っていた。「良い大学に入ることは良いことか」に対する意見を見つけるべく、私は、自分にとって「良い大学」とは何かを定義しようとした。最終的にそれがアメリカのリベラルアーツカレッジになった。東大に行くことが良いと考える人もいるし、大学に行かない選択を良いと考える人もいる。一般的に正しいとされている「良い大学に入る」を意識して進路に悩まされる前に、自分にとって「良い大学」を定義する作業は必要だ。なぜなら、他人の「良い」と私の「良い」は別物だから。
受験期にこんなエピソードがあった。ある先生から、あなたは、アメリカの大学に入学できたとしても、卒業できるかは微妙だねって言われた。先生、大丈夫です。それもそれで受け入れるから。大学を卒業するのは、4年間学業に励んだ証だから、素晴らしいことだと思う。その先生が、卒業できるか否かを気にかけていることも伝わった。でも、もし私が単位を落として、成績が良くなくて、卒業できなかったとしても、その時は「まだ自分には、大学で勉強するに見合う能力がなかったんだ」とか「頑張り方を間違えてしまったんだ」と考えて、またやり直すだろう。そう思った。
その先生にとって「生徒を大学に進学させ、卒業させること」が良いこと(大切なこと)だったんだと思う。でも、卒業できないかもしれないというリスクを背負いながらでも、自分が1番選びたい道で挑戦してみること。その道を進む途中で「なんでこんなことになってしまったんだろう」と思いたくなるような状況に置かれたとしても、それを受け入れて、軌道修正すること。これらの方が私には大切なこと(良いこと)だった。
現代の若い人は、今まですごいと言われてきた企業が倒産していく光景を目の当たりにして、すごいと言われてきた大学に入った人が辛そうな生活をしているのを見て、言葉にはできないし、正体も分からない不安を持っているというような文章を読んだことがある。安泰と言われている企業に入社する、偏差値の高い大学に入るという賞賛が必ずしも賞賛ではないことに自分も含めて混乱している。だからこそ、自分にとっての賞賛を定義することが必要。(私はまだ定義できない。)そしてそのためには、自分にとっての良い大学、良いキャリアを定義することも必要だと思っている。
渡米まであと半年弱、どう過ごすか悩んでいる。まずは、このnote執筆を通じて、受験期を振り返りたい。