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自己分析をする理由

海外大学受験において自己分析は大切だった。大学に提出するエッセイを書くためにも、自己分析は避けられないと思う。海外大学に進学した先輩が、自己分析をすることでエッセイが書きやすくなったと言っていたが、エッセイを何度も書き直して、ようやくその言葉の意味が分かってきた気がする。エッセイが上手くかけた!と自分の文章に対して、少し成長を感じるきっかけが受験期に何回かあったのだが、その時は、必ずと言っていいほど、自己分析をし直した後だった。自己分析を何度もしなければならないエッセイが、なぜ、アメリカの大学の入学試験になっているのだろうか。それは、誰に生かされてきたかを知るためなのではないか、と受験を終えて考えている。

誰に生かされてきたのか。

当たり前のことだが、自分の過去に限りなく遡ると、それは生まれた瞬間になる。私は生まれた瞬間から今まで、たくさんの人に会った。真似したいところで溢れている魅力的な人もいれば、自分とは気が合わないと感じた人だっている。私にとって最高の瞬間を共にした人もいれば、最悪の状況を一緒に乗り越えた人もいる。確実に言えるのは、その人との出会いが、自分に何かしらの影響を与えたということだ。私は、誰かから影響されるたびに、変化するチャンス、自分を整えるチャンスをもらった。そのチャンスが積み重なって、今の私の考え方であったり、生活の仕方であったりが成形された。自分1人では、今の自分の姿と出会うことがなかったという意味で、今の私は「誰かに生かされてきた」と言える。

この気づきは私に、「これからは誰に生かされたいのか」つまり、これからは誰に影響されたいのか、誰に関わりたいのかという問いを与えた。

これを考えておかないと、留学生としてアメリカという今まで住んだことも、訪れたこともない場所で過ごすのは難しいのかも知れない。なぜなら、体調が悪くて寝込んでも、初めて英語で全てのクラスを履修し、戸惑っても、家族や今まで仲良くしてきた友達は助けてくれない。そんな時、こんなことを考えるんじゃないだろうか。「なんでアメリカに来たの。」と。小さい頃から塾に入れられ、訳も分からず勉強し、途中で受験勉強に燃え尽きてしまう生徒がいるように、ここに来た理由が分からなくなった瞬間、きっと現地で燃え尽きてしまうのだろう。そんな時に、誰に生かされてきて、アメリカに辿り着き、そしてこれから誰と関わりたいのか、を知っていると、燃え尽きずに、自分で自分を整えて、また頑張ろうと思いやすくなる気がしている。

私の場合、誰に生かされてきたのかと聞かれ、まず一番に思いつく人たちは、マイノリティになることを恐れず、Follow My Heartで人生を楽しんできた人たちだった。マイノリティになるには、Follow My Heartし続けるには、覚悟がいる。だから、彼らは、自分なりの理由と決断を持っていた。だから惹かれたんだと思う。自分の人生に自分で彩りを持たせている姿勢が、とってもキラキラして見えた。

だから、私もFollow My Heartで、自分が知りたいことは勉強したい、進みたい道を進みたい。


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