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2023年2月17日、東葛スポーツ「ユキコ」を見た

前回上演の「パチンコ(上)」が二度目の岸田戯曲賞候補となり、今回きっとすぐ売り切れてしまうだろうなと思っていた東葛スポーツ。もたもたしてたら案の定予定枚数終了になってしまっていた。
期間も5日間と短く、劇場として使っている北千住ルミネ上にある「シアター1010/稽古場1」は稽古場という名前通りのやや広いスペースに椅子を置いてるだけなので席数も少ない(100人いるのかな…)日にちがたてば話題になって絶対当日券もなくなってしまいそうなので初日しかないと2/17 17時の当日券を狙って行った。仕事は週末の自分に託した。受付40分前に着いて無事に当日券4番をゲットした。

東葛スポーツは「ヒップホップ流の了見でアウトプットする演劇ユニット」とオフィシャルサイトで自分たちのことを紹介している。コロナちょっと前から見始めた。初めて見たのは「71年生まれ、光浦靖子」(わかる方はわかると思いますが元ネタは「82年生まれ、キム・ジヨン」という韓国作家の小説です)。きっかけは川﨑麻里子さんという好きな役者さんが出ていたからだ。その時は客入れが上野千鶴子の東大入学式の演説で、光浦靖子さんがラップをしながら半生を語る話だった。その次は「A-(2)活動の継続・再開のための公演」で、これはコロナ禍にいる演劇に関わる人たちへの補助制度の話。

ここまででおわかりのように、東葛スポーツは、自身と「今」について演劇にしている人たちです。当日パンフレットもなし、再演もなし。

Twitterでの感想を見ると、面白いという言葉が並んでいて、それはそうなんだけど、主催の金山さんと今回出た5人の演者さん(全員女性かつ4名は子持ち)の心とかプライドとかを削って曝け出して表現することのすさまじさみたいなのを感じた。今回はほぼラップで舞台が構成されており、ストーリーというよりは散文的な単体のエピソードから大きなうねりのようなラストに持っていかれる。圧倒的に面白くて見ていると脳からドーパミンが出まくるのだけど、これは消費するもんじゃない、演者がこれだけのものを出してくるんだからそれにのっかっちゃいけないんじゃないか、という気持ちになりました。ヒリヒリしてた。お前らこの劇見るほどの覚悟があるのか、と問われてるみたいでした。


ここからはネタバレを含む感想メモ。

  • 客入れは、前回東葛スポーツが受賞できなかった2022年岸田戯曲賞授賞式の音声。私は当日券だったので入場が開演5分前とギリギリで、ちょうど受賞した山本卓卓さんが「ゆくゆくは審査員の席を狙っていきたい」といって笑いを取るところ。自分が取れなかった授賞式の音声流すの、もうすごいなと思いながら聞いていました。30分前に入った人たちは何を聞いてたんだろう…。

  • 演者全員女性のラップも演技もめちゃめちゃかっこよい。川﨑麻里子さんが、東葛スポーツが岸田戯曲賞を受賞した「体で」金山さんの挨拶をタモリの赤塚不二夫弔辞よろしく白紙の受賞挨拶を読むのかっこよい。パチンコ新台で授賞式行けない「体」の金山さんも良い。

  • 本当は「パチンコ(下)」でもよかったけど人増えそうだから「ユキコ」にしたと言いつつ、ちゃんとユキコに繋がる。

  • 舞台俳優をしながら母親をやってる演者、に言わせるセリフやエピソードどうやって考えたのかすごい気になった。ママ友の中でできるだけ目立たないようにしまむらを着る、かぶるくらいがちょうどいい。自分の欲望を満たすために子どもの未来を持ち出す話。

  • ユキコこと主催の奥さんこと演者の幸子さんは自閉症スペクトグラムかつ天才でいろんな免許を取得しているけど人間関係が構築できなくてありとあらゆるところでトラブルを起こす。今回選ばれた他の演者は自分とトラブルなく演劇がやれるであろう人たちだけ、というのが種明かしされる。切ない。

  • 東葛スポーツは「オートフィクション」である、という感想を持つといいと舞台で話されていたのであとで調べた。でも、小説というジャンルでありながらリアルであるとも言えるのじゃないかな。私たちの中にある皮肉とか権力へのおもねりとか妬ましさ、生きることの悲しさ、それでもある慈愛とか。そういうのに響く、東葛スポーツ。

オートフィクション(Autofiction)は20世紀に現れた新語。セルジュ・ドゥブロフスキー(Serge Doubrovsky、文学批評家、小説家)が1977年に自身の小説『糸/息子』(Fils)について語るのに用いた。この言葉はギリシャ語の "αυτο" に由来する「自分自身」を意味する接頭辞 "auto-" と"fiction"(フィクション)で構成されている。オートフィクションは文学ジャンルの一つで、一見したところ矛盾した二つのタイプの語りを結合したものである。すなわち、自伝のように作者と語り手(つまりは登場人物であるが)とが同一人物であることに依拠しながら、同時にフィクションを、主として小説というジャンルを持ち出してくる物語のことである。

オートフィクション

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