2020年5月26日火曜日、私がみている画面の先の人のことを考える
悲しい話なので、たまたまこのテキストを開いてしまった人はそっ閉じしてください。
リアリティーショーは見ない(それどころかドラマもあまり見ない)ので、出演者の女性がSNSでの酷い酷い嫌がらせを受けて亡くなってしまったというニュースで、その人となりを調べて知った。とても魅力的だし、プロレスラーとしてもきっと期待されていた方なんだろうというのがプロレスファンの方の投稿でわかった。そしてとても若かった。酷いことを言われるきっかけ(?)になった事件も、文面だけだとなぜこんなことになるのか理解ができなかった。でも追いかける気にはとてもならない。
いろんな人がこの話をしていて、ふたつそうだなと思ったことがあった。
ひとつは、もう消されてしまったのだけど「フォロワー数が増えていくと、一定数のところで自分が人としてではなくコンテンツとして見られている」というツイート。すごく腹落ちした。芸能人の有名税とか、芸能人だったらこれくらい我慢しろスルースキル磨け、みたいなのはそういう話だと思う。
近いようででもやっぱり遠いから、相手はコンテンツとして消費される。投げる側の人は、画面の先にいるのも人だというのをあんまり想像できてない。相手への執着や思い込みが強すぎて、勝手に人物像を作って(近い距離にいると思いすぎて)粘着するケースもあると思う。でも、気軽に罵詈雑言を浴びせる人は前者の方が多いのではないかな。だから、亡くなってから慌ててアカウント消したりするんだと思う。どちらのパターンにしても、想像力がないのは共通している。これは消費する側の話。
もうひとつは、消費される側の話。いつもインスタを楽しみにしている山本さんが書いていた投稿。彼女はNYに住んでいて、現地の情報や彼女自身の心の内を漫画にして読ませてくれる。とてもテンポがよくて引き込まれるのだけど、このことに触れていた。
全般的にとても彼女らしいというか、誠実さが表れていてなんどもうなずきながら読むんでしまうのだけど、特に私が話題にあげたいのは後半の方で、自死を選ぶときは普通じゃないんだ、という話です。
学生時代に「死にたいなら死なせてあげればいいじゃない」というお題をどう捉えるか、という講義を受けたことがあって(何かの話のついでだったかもしれない)、教授が「自殺をするときって、いくつもの条件が揃わないとできない。それはすごく難しいことなんだけど、揃った時に死を選ぶのは、やっぱり通常の判断ができないときなんです。」というようなことを20年経った今でも覚えていて。障害がなければ死を選ばないわけだし、原因もなく死にたいのはやはり正常な判断ができる状態じゃないから、自殺は止めるべきものなんだ、というような話をされていた。
逆にいうと、ひとつでも条件が外れると人は死ぬことを選ばないらしい。だからそのひとつをとにかく外していく、というようなことを教授は言っていた。
当時希死念慮がとても強かった自分にとっては、割と新しい考え方で、自殺はしたいんじゃなくてさせられるものなんだな…って思った記憶がある。
山本さんのインスタでも、自分の状態が悪くなると、心配してくれる人の言葉が届かなくなったり、悪い方に考えてよりつらくなるということが書いてあった。このかたが優しいなあと思うのは、もし自殺していたら、友達や家族が一生心に傷を負うことになる…って考えるところなのだけど、それを思いつけるうちに病院なり近い人にSOSを出すことが大事なんだろうと思う。
見る側は、オンライン上でのリテラシーや相手へのリスペクトを学ぶこと、ルールを破ったらペナルティがあるのを理解していくこと。一方提供する側はリアリティショーのあり方や出演する人をちゃんと保護するような仕組みを考えないと続行するのは無責任なんじゃないか。(とはいえアメリカではサポートやカウンセリングしてても自殺者が出るということだから本当に大変なことだと思う)、、、
22歳の子が毎日罵詈雑言を浴びせられて、それでも正常な思考で生活し続けないといけないなんて、毎日生きないといけなかったなんて、想像もできない。つらい。二度と起きて欲しくない。