2023年1月16日、「福岡」三部作を見た
正月あけ、チャン・リュル監督の「福岡三部作」を見に行った。「柳川」公開記念で、三部作の残りのふたつである「群山」「福岡」も期間限定で公開されていたのだ。
公開順で見たかったけど時間の都合で1/4に「福岡」→「群山」、1/14に「柳川」をみる(公開は群山2018→福岡2020→柳川2021)。以下は個人的な印象や感想
福岡(2020)
韓国からおじさんと女子大生がおじさんの先輩を訪ねてやってきて、福岡の街を観光する話。私は九州出身なので見知った場所をいくつか見つけられた。中国の監督だという情報くらいしか持ってなかったので全編韓国語でちょっとびっくりした。(あとから朝鮮族出身という監督のルーツを知る)
散文詩のような、シーンごとの印象が強く残る。ずっとそこにある風景の中にぎこちなくいる韓国からの旅行者おじさんふたり、女性ひとり(ふたり)。湿気のある風景に本当にうじうじしたおじさんが始終うだうだしている(褒めています)。おじさんたちの会話、お互いを大好きすぎて、でも同じ女性を好きになってしまったためにうまくいかない感じが伝わる。一方女性は全部を知っていて、風景を案内する役だったり、過去と今をつなぐ巫女っぽい感じを受ける。ちょっとだけ女性のリアルも出てくるけど、やっぱりそういうの含めて達観しているから、女性はこういうことを投影されがち、と思った。
群山(2018)
恋人ではない微妙な男女ふたりが、男性の母親の故郷である群山に旅行に行く話。男性、やっぱりうじうじしてる。言葉の端々がとてもみみっちい。女性も何かから抜け出したくてもがいている。宿の主人・娘との交流から話はちょっとずつこじれていく。目線と風景が絡んでいて、夏だからかやっぱり湿っている。
この監督は台本がプロットくらいしかなくて、その場で作り込んでいくのが特徴だそうで、それなのに映画としてまとまっているのが本当にすごい。この映画では、時間軸に少ししかけがあり、そういうの最初から考えてやってるのかしら?と思った
ここでは朝鮮族のことが少しフォーカスされていた。北朝鮮と韓国ですらもともとは外国のせいで分断されたのに、さらにそんなこともあるのか、、と自分の不勉強さを感じた。お隣の国なのに不勉強。
話の中に「尹東柱」という、戦時中に福岡の獄中で亡くなった詩人が出てくる。ちょうど韓国語を勉強していて、図書館で手に取った尹東柱の詩集が素晴らしく、日本語訳(こちらも在日韓国人の金時鐘という方が翻訳されており、その訳も美しかったのです)の勉強にもなるかなと買ったばかりだった。名前や生い立ちを検索してたので、そこもタイムリーだった。
映画ではお寺とかも出てきたのに、日本ぽい感じは気づかなかった。
「福岡」とちょっとだけ繋がるところもあり、同じ世界線なんだなと思うのも楽しい。
柳川(2021)
福岡の柳川で撮影された最新作。一番ストーリーとシーンと登場人物が組み合わさってリアルに感じた。前の二作はなんだか全部ふわふわしていた(それはそれで好きです)。夜のシーンが印象に残る。
設定のせいなのか、男性の心情も一番心に核みたいなのがあって、それに沿って物語が進んでいく感じがした。女性も相変わらず掴みどころがないものの、もう少し女性自身がある感じがした。
当時どうにもできなかったこと、もう今更どうにもならないこと、言いたいけど飲みこむこと、それが全部全部川の音、川をこぐとぷん、とぷんという船の音に紛れて泡になって消えていくのだろうな、と思った。
何も言わないまま帰った優しいドンは最後何を思ったんだろうか?いや、何も言わないということが残されるものには取り返しのつかない後悔を残すことになるのかもしれないな。
年明けから良い映画を見れました。これまで一生懸命忘れたいと思っていたけど、老化で忘れることが多くなってきたので、今年はアウトプット多めにできるといいなと思っています。