ネガポジ反転自己分析
自分がどんな人間か、を言葉で表現するのはなかなか難しい。
たとえば、どんな髪型の子が好きー?とか聞かれて、ロングの女の子が好きーとか言うとミディアム以下の子が眼中に無いと思われたり、ロングの特定の誰かを狙っていると邪推されたりする、例のあの問題だ。
「あの人は○○が好き」というのはなんだかわかりやすく人を表現する方法のように思われがちだけど、それって実のところは体良くデフォルメしてるに過ぎないってことはなかろーか。聞き手のわかりやすい文脈で捉えられて、わかったような言い方で俺という人物を語られるのが嫌だから、何かを好きって言うのがある時から躊躇われるようになった。
ちなみに合コンで女の子の髪型の好みを聞かれたときは、「長さはともかく、色々自分でアレンジしたりする子はオシャレだなって思うよね。」とか答えておくと、まぁまぁ無難に逃げれて良い感じだ。ロングorショートの二元論に俺を巻き込んでほしくない、というささやかな反抗心の現れでもある。
…と、いう話を友人にしてみた。
こいつはいつも俺の話をイーゼル越しに聞く。
油彩も水彩も木炭デッサンもやる男で、画材も画題もコロコロ変わるが、作業用BGM代わりに人を呼びつけて話をさせるその癖は変わらない。
「うーん。まぁたしかに、まっしろい画面にいきなりくろい輪郭線をひくのは勇気がいるよね。僕もあんまり好きじゃない。」
幼さの残る話し方。本当に俺と同い年かこいつは。
「印象派の時代まで、輪郭線がないと人は絵をかけなかったんだよ。むかしのひとはみんな大胆だったんだね。」
"好きなものを語ると自分の人間性がデフォルメされる"っていう俺の話を、見事に自分の専門分野の話に置き換えてやがるんだな、こいつは。
まぁ、わかるような気はする。俺ってこんなやつなんだぜ、と言い切るのは、極太マジックで自画像を一発描きするような芸当だろう。大胆極まりない。
「だから、大胆ではない僕は、こんなやりかたが好みだなー。」
そう言いながら今描いてる絵を見せてくれた。
真っ黒い画面に、白インクを乗せている。白い線を引いているのではない。地の黒を少しずつ白で塗りつぶしているのだ。
慎重に、描きたいものがどこに居るのか、自分が何を捉えようとしているのか、探り当てようとするかのように。
決して押し付けず、決め付けず、対話しながら引き出していくかのように。
大理石の中に居る天使をミケランジェロが解放するように。
丁寧に丁寧に繰り返されたその作業により描かれていたのは、紛れもなく俺の横顔だった。
友人の絵筆にのった白い液体が、人間観察の真髄のように思えて、俺はこいつを見直したのだった。
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