【Y公園】チュウシャクシギがいっぱい
2024年6月9日(日)曇り 25/19度
A会の探鳥会二回目。
今日は勝手知ったるY公園のため、安心感があった。
8時に家を出発。40分ごろ公園に到着した。
管理事務所で年間パスを提示して、A会の方達と西側から回ることに。
上空からはイワツバメの鳴き声。
入り口近くの木に、オレンジ色の実がたわわに実っていた。
ある女性が落ちてる実を拾って食べはじめた。うらやましいと思っていたら、半分に割って下さった。(物欲しそうに見えたのだろうな笑)
酸っぱい!懐かしい果物の味がした。
スーパーで売ってる果物は、何でも甘ったるいけど、これは懐かしい酸っぱさ。
4号の小屋からは亀しか見れなかった。
3号にも何もいないとの情報が入ったらしく、スルーして、干潟の方へワイワイと楽しく向かう一同。何か見つけると皆で観察。
I橋からは、左手の方に、イワツバメが見えた。
ムクドリが群れになってきている。ヤマモモを食べていた。
幼鳥が混じるので群れになるのか、実を食べるために集まるだけなのか。
東観察広場からは、やはり正面の木にムクドリが群れでとまっている。
急にその群れが飛び立ったと思ったら、トビがいたようだ。
ネイチャーセンターからは、チュウシャクシギが遠くの方に見えた。
オオソリハシシギもいたようだ。大型テレビにビデオを表示してくれていて、何となくクチバシがそったものがいたような感じがした。
図鑑に、「オオソリハシシギはアラスカからオーストラリアまで1万km以上を飛び続ける」と書いてあって驚く。そんな壮大な旅の途中でこの公園に立ち寄ってくれた事の貴重さよ。けれどそれも私の尺度だよな。
皆で、M干潟の方へ。
そこにいる人たち全員左側を見ている。観察窓から覗いてみると、チュウシャクシギがいっぱいいた。次々飛んでくる。何羽いたんだろう。15羽は数えられたけど、もっといたような気がする。
フジツボだらけの岩の上をヒョイヒョイと歩き回り、カニを捕まえて食べていた。彼らが歩き回ると、フナムシがサワサワと逃げていくのが面白かった。
A会の人が対岸にササゴイを見つけた事で盛り上がっていた。
私が前回この公園に来たときに見たのと同じ個体だろうか?
誰かが、ここら辺に、2羽いるのだと話していた。
運河で見たのと、公園で見たのはつがいだろうか?想像が膨らむ。
それから、1号小屋へ皆で入る。
対岸にカルガモが3羽いた。(いつの間にか小屋近くへ来ていた)
「ピウピウピウ」コチドリの鳴き声がする。と思ったら、小屋のすぐそばに降り立った。けどカメラを構えたら飛び立ってしまった。残念。
A会の人がコアジサシを見つける。
見ると遠くの工場の方を白い鳥がひらひら飛んでいた。
私はビデオで撮った。帰ってから確認したら、急降下して魚を捕まえたようだった。スローにしてみるとくちばしに何かをくわえている。どこで食べるんだろう。そのままパクッと飲み込むのか?
2号小屋の方にコチドリを2羽確認する。全員でそちらを見ていると、最後にカワセミが杭にとまり、魚を捕まえたところを見ることができた。(全部遠くて写真には撮れなかったが・・)
さて、楽しい探鳥会は終了し、ネイチャーセンターの1F(階段を降りたフロア)でお弁当を食べた。帰りにこのフロアに9月に開催するネイチャージャーナル会の案内をおかせて頂いた。
それから、私とSさんとでジャーナリングをする。
A会のネイチャージャーナルに興味を持って下さった方が、私がジャーナリングをしているところを見学して下さった。
これは、結構辛い(笑)恥ずかしいとかではなくて、何というか、集中できないというか・・・
ま、そりゃそうだよね。私は講師ではないのだし、しょうがないと思うしかない。
そして、それを見ることによって、誰か一人でもやってみようかなという気持ちになってくれたら、それはとても意味のあることだ。
ネイチャージャーナルが流行ることが目的ではない。私のように視野が狭く生きづらいと思っている人が、この活動を通して何かに気づくこと、そしてひとりひとり物の見方が柔軟になることで、小さなグループが良い方向へ向かうこと、そして最終的には、その小さな集まりによって社会全体が良い方向へ向かうことが、本当の目的なのだと思う。ネイチャージャーナルは同じ意識を持った仲間が集まるためのツールでしかない。
絵を描くことも、良く観察するための方法であって、目的ではない。
その目的のためには、たぶん他の会でも、別の活動でもなんでもいいのだ。
私は一人で楽しく絵を描いてるのが大好きで、できれば人と関わりたくないと思ってきた。
ではなぜ、ネイチャージャーナル会をする必要があるのか、それは、私には、小さなグループを作る必要があるからなんだと思うようになってきた。
私はたまたま、日記とスケッチと自然という3点セットが好きだったから、ネイチャージャーナルが好きになり、続けることができた。それは偶然だけど、そのようになっていたのかなとも思う。
なんだか偉そうなこと言ってる。でもそんな気がするのだ。
学生の頃、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読んで衝撃を受け、「地球を守らねば」と思いつめた。そして環境にいいと思う取組みを自分に課していた。「私だけがこんなことして何になるのだ」と思いながらやっていた。
その時、
自分とは違う考え方やアイデアを持った仲間がいたらどうだっただろう?
励ましあえる仲間がいたらどうだっただろう?
芝生の上にムラサキシジミを見つけた。
ムラサキの羽が本当に綺麗!
あちこちに色々な実が実っていて、面白かった。コブシの芽は冬はふわふわのコートに身を包んでいたのが、春が過ぎ花が終わり、蝶のサナギのようなカチコチな姿になっていた。自然は本当に面白いものをいっぱい見せてくれる。
最初に西側のエリアで見たアンズを描きたくて戻った。木全体を描きたくて。描き終わってしばらくしたら、ボランティアの方達が、実を収穫して枝を切り落としていた。なんかちょうどいいタイミングでアンズが「ほら」と呼んでくれたような気がした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?