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日記/ウルトラ共感テレパシーマンvs共感性欠如逆テレパス怪獣

 知り合いがうちへ遊びに来た。それ自体は全然構わないんだけど、当初想像していたより遅くになってもなかなか帰ろうとしなくて、そろそろ帰れよと率直に言えるほど気が知れた仲でもないし、自分の部屋に他人がいる状態は基本常にイヤなのでだんだんイライラしてきた。その日なんとなく調子が悪かったのも相まって楽しく話せる気分じゃなかったから、俺はいったん内面に引きこもってストレスから目を背けることにした。ひどく子供じみた態度なのは重々承知である。
 ところが、しばらくするとそいつがふと俺に向かって「なんか変なことした? どうしたの?」と聞いてきた。俺はできるだけ苛立ちを悟られないように普段通り振る舞っているつもりだったし、際立っておかしな所作も無かったと思う。それでもそいつは俺の内面の苛立ちを透視みたいに見抜いてきやがったのだ。驚いたのと同時にかなり怖くなった。おそらくそいつは俺の振る舞いや口調のごくわずかな変化から敏感に気分を読み取ったに違いない。しかもそいつは外国人だから俺たちは英語で会話していて、日本語ネイティブ同士ならともかく、俺の拙い英語からさえそんなふうに気分を読み取ることができるのかと恐ろしくなった。
 そいつは続けて「私は周りにいる人の気分にすごく影響されてしまうから、いまの君の気分が私にも入ってきて少しナーバスになっている」と告白した。たぶん誤魔化しても無駄だと感じたので、俺は正直に「君のせいではないけど、今日は単になんとなく気分が良くないからだと思う、ごめん」と伝えた。それでそいつも理解を示してくれて、ああそうなんだねということでまあ丸く収まった。
 それからそいつは自分で買ってきたウイスキーの大瓶をひとりで半分くらい飲んでデリバリーピザをむしゃむしゃ食べ、当然泥酔してゲロを吐いてぐうぐう眠り始めたので、本当にいい加減帰ってくれ、いまこそ気分を読み取ってくれよと強く念じた。

 俺は人の気持ちを読むのが苦手で、子供のころからあらゆる対人関係で苦労してきた。そもそも俺にとって他人の気持ちというものは存在しないのが当たり前だったから、もしそれの存在を仮定して機微を窺う必要があるときは、文字通りの会話内容の裏にあるメタ文脈を読み取りつつ、さらに表情や振る舞いまでをも常に観察する能動的な推測を強いられるし、そこまで頑張ってもやっぱり本当の気持ちとは何なのか今でもまったく分からない。大人になるにつれて他人の振る舞いデータベースが少しずつ蓄積してきたので推測の精度が多少上がった程度だ。おそらく今後も同じように他人データベースを蓄えながら、実在するのかさえ分からない『他人の気持ち』なる何かを推測し続けるしかないんだろう。
 でも世の中にはさっきの奴みたいに、他人の気持ちが過剰に入り込んできてしまう人間もいるらしい。そいつは「相手の気持ちなんか知りたくないときでも常に他人の怒りや悲しみが自分に伝わってきてしまう、だからものすごく他人の気持ちに引っ張られていつも苦しい」と言っていた。俺はその話しぶりや表情を観察して他人データベースと照合しながら、たぶんそれはすごく苦しいことなんだろうなと、おぼろげに推測するしかできなかった。

 そういえばかつてツイッターのDMで知らない奴にいきなりテレパシーの使い方を教えられたことがある。文字通り、言葉を交わさずに意思疎通できるという意味でのテレパシーである。どうやらLSDを頻繁にやっていて、あるとき能力に目覚めたというような話だった。何を言ってるのかほとんど分からなかったし単に狂ってしまったんだなと思った。
 しかし、はじめに書いた奴のように、生まれつき他人の僅かな表情や言動の機微を自動で読み取ってしまい気持ちが流れ込んでくるという人間もたしかに実在するらしくて、それは極度に高いウルトラ共感性とでも呼ぶべき先天的な特性なのだろうが、俺にはほとんどテレパシーに近いもののように感じられた。
 だから今になって思えば、件のアシッドテレパシー狂人も、LSDの影響下でありがちな機微への気づきやすさがシラフの日常にまで及んだ結果ウルトラ共感性を後天的に獲得してしまったのかもしれない。そういう極度の共感能力はどちらにせよ俺からすれば狂ってるように見えるが、たぶん彼らから見れば、俺のほうこそ極度に共感性の低い狂った逆テレパシー怪獣に見えるのかもしれないと、他人データベースと照合しながら推測している。

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