タイプロ 鈴木凌さんについて、ただ書きたいだけのday and night

(1月24日、5次審査チーム松島篇の配信開始前にツイッターに書いた原稿です。さすがに長いのでこれからはnoteに書くことにしよう)


なぜ会ったこともない人のことを一ヶ月以上にわたり考え続けているのか。まあまあ分別もついた大人であるはずなのに、この事態は狂気の沙汰だと自分でも思うし、今日の「SWEET」次第ではさらに加速するかもしれない。まだぎりぎり自我が保てている今、アイドル鈴木凌について思うことを記録しておく。

最初に鈴木凌を認知したのは大倉さんと同じタイミング、3次モンスターの、Cパートの最初のソロ部分だった。歌、表情、視線の送り方や歩く姿、すべてのパフォーマンスがひとりだけ頭抜けていて、なんだこれは、これがアイドルの卵なのかと衝撃を受けた。

それから鈴木凌のことを考える日々が始まった。ルックス、スタイル、ファッションセンス、自己プロデュース能力の高さ、ダンスのスキルに人柄、、彼の強みなど挙げればキリがないが、何度も既存のエピソードを見返すうちに、やはり自分には歌が一番刺さっていることに気づく。

とはいえ、アイドルに歌のスキルは必要なのか?
もちろんうまいに越したことはないけど、ビジュアルありきの世界において二の次になるのは仕方のないこと。人数が多いほど担当パートも少なくなるし、近年は声の加工もされるがままでもはや誰の声なのかよくわからないことも多い。

それに歌がうまいと言っても、技術力や器用さで言えば西山くん、安定感とバリエーションの豊かさなら本多くん、など今残っている候補生はみんなうまい。普段は可愛いに全振りなのにステージでは色気をダダ漏れにしてくる猪俣くんや、図体のデカさとは裏腹に子羊みたいなデリケートな高音で期待を超えてくる篠塚くんなど、個性もありそれぞれに素敵だ。

そんな中、これは極めて個人的な見解かもだけど、鈴木凌は歌い出した瞬間に心を持っていかれる、その世界に半ば強引に連れて行かれる。こっちを見て、ここにいるよとその声でもって全力で訴えてくるし、そのひたむきながらも自信にあふれた歌声に、佐藤勝利さんの言葉を借りるなら「この物語の主人公」はこの人なんだと納得させられてしまう。

一方で、今日のようによく晴れた冬の日の夕方の、マジックアワーの中で見る遠景のように、手を伸ばしたらつかめそうなのに、目を離した瞬間に暗闇に溶けてしまうようなあやうさ、すべてはまぼろしだったのかもと思わせる儚さ、その不確かさが胸をざわつかせる。この歌声を一音たりとも逃してはいけないと強く思う。

もしかして、この人は歌でアイドルを表現しているのか? 両手を広げて迎え入れてくれると思ったら、次の瞬間には跡形もなく消えてしまう。いつまで経ってもその幻影を追いかけるしかない、そんな存在。

「薄っぺらい」人間にとうていそんな表現ができるはずもなく、彼のこれまでの軌跡やバックグラウンドに思いを馳せずにはいられなくなる。「前世」のライヴ映像を見ると、いつどこでも全力でパフォーマンスを楽しんでいて、ああこの人は本当に、いつだってずっとアイドルなんだと思い安心する。

どうかいつまでもアイドル鈴木凌が心から楽しんでステージ上で歌えますように。今日の「SWEET」も楽しみでしかない。

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