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#147 明和地所はなぜ建設を断念したのか? ⑲ 欲しい「企業倫理」という価値観

 核兵器の製造などにかかわる24社(ノースロップ・グラマン、ボーイング、ロッキード、マーティン…)や核兵器関連企業の一部との投資関係を打ち切る、または投資額の縮小を決定するなどの金融機関が増えている。
 気候危機などの環境問題、労働問題、企業の不祥事などが深刻化するもとで、世論の目も厳しくなり、核兵器製造(そして軍需産業も)は企業活動を点検する上で重要な項目の一つとなってきているようだ。

 これは「企業イメージの悪化を恐れた」結果なのだろうか。
 いや、「企業イメージの悪化を恐れる」というレベルではなく、もっと大きくて深く、そして人間として失ってはならない範疇の理由があるような気がしている。
 それは「企業倫理」。
 核兵器の使用が現実問題となっている。実際に使用されたら、どのような事態になるのかという予想も推定されている。恐らく、現実にはその推定の何倍もの悲惨な事態になるだろう。核兵器が使用されたら、今後人類は何百年も何千年も負の遺産を抱えることになる。そのような兵器を製造する企業に協力していいのだろうか? いくら利益が上がるからといって、壊滅的な事態の発生に加担してよいのだろうか?? そのようなブレーキが掛かり始めているのではないか。

 閑話休題、相模国分寺跡隣接地に高層マンションを建設することを断念した明和地所。企業イメージの悪化を恐れた。企業イメージが悪化すると利益が下がる。企業への応募者も減る。詰まるところ、建設断念は利益を追求した判断だった。経営判断。営利を追求する企業としては、利益を追求することは当然のことである。国立市で完成間近のマンションを解体することにした積水ハウスの経営判断も利益を追求したものだったのであろう。
 だが、利益を追求する際、公共の利益を無視すること、更には公共の利益を破壊したり悪影響を及ぼすことがあってはならない。
 相模国分寺跡隣接地に高層マンションを建設しようとした明和地所に、このような事業を展開してもよいのだろうか…というような、倫理的な躊躇いはあったのだろうか? 国立市で完成間近のマンションを解体することにした積水ハウスの判断は、倫理的なブレーキが働いた結果だったのだろうか? 明和地所からの説明はなかったし、積水ハウスの件は新聞報道のみの情報なので何とも判断できない。
 「企業イメージが悪化する」という判断を超えた、「企業としての倫理観」を備えた企業こそが社会的に認められるような社会。私たちはそのような社会をつくらなければならない。そうでなければ、市民が安心して暮らすことのできる社会とはならない。今回の、相模国分寺跡隣接地高層マンション建設問題で、海老名市民が学んだことの一つである。

(24.10.10)


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