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 「どうなる相模国分寺跡<高層マンション建設レポート> in 海老名」というタイトルのブログを書き続け、100回になった。通常は記念すべき通過点ということでハッピーであるが、この場合は少しもハッピーではない。
 このブログの記事は有料ではない。広告もない。書いても金銭的収入はゼロ。それがいい。なぜなら、誰からも影響を受けなくてすむから。全ての文責は私なのだ。
 結構な時間を取られた。他にもやりたい事、やらなくてはならない事がたくさんある。明和地所が相模国分寺跡隣接地に高層マンションを建設するという話をもってきさえしなければ、このブログを書くという無駄な時間を取られることはなかった。書きながら少なからず怒りが湧いてきたこともあった。その怒りを抑えながら書き続けた。怒りは原動力の一つであった。
 そもそも建設計画そのものが怒りの対象だ。その怒りは個人の怒りではない。海老名市民、神奈川県民、広くは国民の怒りだ。だから、冷静に怒りを表現しなくてはならない。文章修業にはなった。

 バックナンバーで一番人気なのが、「#54 国立マンション訴訟① 明和地所は何を学んだのか」だ。あの裁判で勝ったことで、明和地所にどれだけの意味があったのかを扱ったものだ。
 法律を学ぶ者は、この「国立マンション訴訟」を必ず勉強するという。その関係者も読んでくれたのかもしれない。しかし、時代は動いているようだ。裁判所の判決は前例と法律とその他の不明な力に添ったものであって、ことの真理は別のところにあるケースが少なからず見られる。司法に対する国民の信頼が低下しつつある今日、「国立マンション訴訟判決」は水戸黄門の印籠ではなくなってきている。

 私はこのブログをネガティブキャンペーンにはしていない。事実を事実として記載しているだけ。しかし、このブログを読んだ就職活動中の学生は明和地所に入社したいとは思わないだろう。昨年の3回の住民説明会に参加していた明和地所の若い社員で、自分の会社に失望して離職した人もいるかもしれない。それでなくても明和地所の離職率は高いと聞く。それらを気にしながらも、このブログは続けなくてはならない。その、続けなくてはならない原因は明和地所にある。
 一日も早く、このブログの最終回がくることを私は願っている。

(23.7.31)

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