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初期吉屋信子の「理想の女性」。

>雑誌「新家庭」より若き処女の描ける理想の女性の題のもとに答へを求められて感ぜしもの――

 私自身、一個人として求め憧れてゐる『理想の女性』がございます、それは私に取つて唯一人あればよい『理想の女性』です。

 さて、その『理想の女性』とは?

 それは、私を又なき最愛ないとしき恋人として愛をそゝぎ身も魂も私の為に捧げて惜しまぬ女性です。その人は世のあらゆる異性の手を捨てゝ同性の私の許にのみ願つて来る女性です。周囲のあらゆる反対や障害の柵を飛び越えて―― 私に対する愛のみ一人彼女を強くして――私の胸にまで!そして、あゝ、私自身も其の人の柔らかに優しいふくらかな胸に抱かれて――そして私は自らの芸術も希望も生命も名誉もその女性の愛情の溢るゝ美しいハートの上に懸けませう!

 『憧れ知る頃』大正12年4月発行の中から。初出がいつなのかは上の情報しかわからず。

 で。

 ワタシの想像ですが、そもそも「答へと求め」てきた編集のほうは、理想「とする」女性を書いて欲しい、と依頼したんじゃないでしょうか。

 自分がなりたい女性、もしくは「立派だ」と思う女性。これがまあ、女性が女性に対する「理想」の答えだと思うんですよ。

 だがしかしやはり吉屋信子は違った。

 というかこの時期の吉屋信子というひとは、同性愛賛美しまくって自分もそうだよーん、ということ隠さなかったんだよなあ。

 というか、それが素晴らしい! 素晴らしいに決まってる! だから皆それを信じるべき!

 と主張しているかの様に見えるんだな。

 彼女の場合の理想は「伴侶にする」理想、まあ通常だったら、「男性に対するインタビュー」の答えですわ。

 で、彼女はその「理想の女性との生活」についてふわふわと続けます。

 一緒に棲む、小さな家の庭には忘れな草、コスモス、チュウリップ、ヒヤシンス、アネモネ、フリージヤ、山百合、菊、桔梗などを咲かせる。

 仕事に疲れたときには「銀盃にさゝぐやレモンの匂ひほのかなる紅茶」を持ってきてくれる。

 凹んだ時には「その佳き人は打ち添ひて、心からなる熱き熱き接吻を私の額に唇に、心からなる慰さめの涙」を流してくれて、「《万人君を敵となすとも、われのみは永久に永久に君の御胸を守らん!》と……」つまり「世界中があなたの敵になっても私だけはあなたの味方よ」ってことですね。

 で、「ひねもす書斎に勉め」て、夜ともなれば美味しい食事。

 その後には良い声で自分の好きな歌をピアノ弾きながら歌ってくれる。

 朝になれば自分が庭に水をまいて、その後身支度をしてくれて、朝のお散歩。

> 春に秋に、二人は山に海に影の如く伴ないて旅もしませう。寂しき郊外の散歩も、賑やかな銀座の舗道も、帝劇の廊下も、新富座の運動場も! かくて二人はいつも共に居らん! おゝ、寂しき人生の広野を二人は手をかたく握りて共に歩まん、地の果までも海の極みまでも!

 ……うん、実に都合のいい女性、っーか、「嫁」だよな。妻で母で姉で妹で、って感じの。「全てが敵でも私だけは」。ホントにまあ。

 そもそも前提が「自分は仕事、相手は家事」って出てるんだよな。当人が仕事を日長集中してやりたい、というタイプだったりすると、どうしてもそういう「世話をしてくれるひと」まあ所謂「嫁」が欲しくなるもので。

 はっきり言って、どう言葉を尽くしても、吉屋信子の「理想の女性」は「いわゆる嫁」なんですよねえ。

 肉体的接触も、程度はどうあれ求めている以上、プラトニックなんて言わせたくねえし。

 まあ吉屋信子にとって、キスがどの程度の親密度を表すものか判らないっちゃー判らないんですが。

 花物語でも初期短編でも伝記に引用される「手紙」の中でもキスは随所に現れておりまする。


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