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アルバータ峰・「伝説の銀のピッケル」について②
学習院大学山岳部昭和33年卒 芳賀孝郎
安住の地、カナダ、ジャスパーイエローヘッド博物館へ
私はこの登山の帰路、ピッケルがカナダの強い要請で、ロッキーのジャスパーイエローヘッド博物館に戻ったことを聞いた。 「折れたピッケル」と30年ぶりに対面した。
23年間の山頂、48年間のニューヨークを経て、ビッケルは71年ぶりにアルバータ山への出発基地ジャスパーに戻っていた。
石突きの行方
帰国後、岳父の遺したアルバムの中に、1965年長野隊の頂上での記録写真を見つけた。
折れた石突きの部分が、他の遺留品と写っていた。
長野隊からの知らせ
私は石突き部分を見つけ出し、アルバータのピッケルを元の姿に戻してやりたい気持ちを1997年3月の日本山岳会会報「山」に寄稿した。
記事を読んだ長野隊の原氏から「石突きは私たちが持ち帰り、長野にあります。」という電話があった。 頂上は雪が少なく、石突きは山頂に転がっていたという。
以来それは第2登のアメリカ隊のものとばかり思っていた。 槇有恒隊も長野隊もピッケルが折れていることは知らなかったのである。
テーブルの上の主賓
32年間長野市のある蔵で保管されていた石突き部分は、東京の日本山岳会のルームのテーブルの上に置かれた。
関係者が取り囲み、この折れたピッケル上部と下部を、いつ、どこで出会わせ、一本の姿にするのかを語り合った。
ピッケルの合体
1997年12月、日本山岳会年次晩餐会で、カナダからの上部と長野の石突き部分の合体が行われた。 皇太子殿下をはじめとする700名余りの会員の前で一本に復元された。
アルバータ山登頂75周年記念祝典
2000年8月、カナダ山岳会と日本山岳会はジャスパーでアルバータ山登頂75周年記念式典と祝賀会を開催した。
一本の姿に復元されたピッケルが高々と掲げられ、拍手と歓声が沸き起こった。
ピッケルのたどった数奇な運命は、関わった数多くの国々の人々を結び、友情を育んだ。
ピッケルは安住の地で、今も訪れる人々にその「ものがたり」を語り続けている。
2013年2月
芳賀孝郎(日本山岳会永年会員・本日本山岳会副会長)
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