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クリスマスの思い出とともに

クリスマスは楽しいことを詰め込んだ宝箱。鉢植えの清々しい樅の
香、煌めき集め揺れるグラスクーゲル、温かい光放つ華麗なイルミ
ネーション、ケーキが焼ける甘美な匂い。物心つく前から目と鼻が
記憶している。優しく華やぎに包まれた喜びを。
毎年巡り来るクリスマス。嬉しい記憶は重ねられ、追憶の宝箱を溢
れんばかりにした。家族の笑顔、商店街に流れるクリスマスソング、
祖母の手編みのセーター、母お手製のコート、豪華な外食……。
サンタクロースのそりはプレゼントだけに留まらぬあらゆる高揚感
を引き連れ、小さな胸の中に滑り込んできた。鈴の音を響かせて。

クリスマス・イヴ、枕元には必ず本が届いた。忘れもしない『かっ
ぱのかげぼうし』……地味な表紙の昔話。何故河童でなくてはなら
なかったのか。日本の子どもには日本らしいものを。サンタ自身が
読んでみたかったのか。意図をあれこれ考えた。年老いたおじいさ
んだから小さな女の子の好みは分からなかったのかも知れない。
本当はドレスを着たお人形が欲しかった。着せ替えができるお人形
が欲しかった。

小学校低学年、クリスマスはイエス・キリストの降誕を記念する日
と知った。神さまの誕生日だという。神社にいる神さまとは全く異
なる神らしい。『古事記』にもイエス・キリストの名はなかった。
外国の神さまだと母が言った。
クリスマスプレゼントには『イエス・キリスト』の伝記をねだった。
『おしゃかさま』は既にお気に入りの一冊だった。仏さまの伝記が
あるのなら神さまの伝記もあるだろう。仏さまの誕生日は誕生仏に
甘茶をかける楽しみしかない。ささやかなお祝いである。だが、イ
エス・キリスト降誕日は世界中がお祝いムードに包まれる。プレゼ
ントにご馳走に、贈り贈られ、皆を笑顔にする。長い間、誕生をこ
れ程多くの人に祝福されてきたイエス・キリストとは、どれ程偉大
な人物なのだろう。

一軒しかない町の本屋。新しい伝記の本、イエス・キリストの生涯。
期待に胸は高鳴る。お目当てのイエスの本を書棚から抜き取る。背
後に感じる母の視線。背筋を伸ばし格好つけて、大人向けに記され
た小さな活字の解説部分に目を通すふりをした。

突然、目に飛び込んできた一枚の絵。腰に布を巻いただけの殆ど裸
の男が十字に組まれた木に架けられている。脇腹から血を流してい
る。驚愕して本を閉じた。今目にした残酷な絵は何だったのか。怖
いもの見たさと真実を知りたい欲求に急かされ、勇気を振り絞り、
汗ばむ手で再び頁を開いた。震える手。紙面が左右に揺れる。磔刑
のキリスト。項垂れ、茨の冠を被った頭から血が流れている。両手
首と両足首は釘で打ち付けられ、やはり血が流れている。槍で突か
れた脇腹からもやはり血が流れている。

世界中が誕生を祝う。これがイエス・キリストか。彼は殺されたの
か。何故こんな無惨な姿で死んだのか。斯様な死に様、深い理由が
あるのだろう。死ぬということ自体がよく分からず、暗澹として死
を恐れていた年頃である。確かめたくはなかった。もう十分だった。
本を閉じ書棚に戻した。やっぱりいらない……何も買わず、どこに
も寄らず帰宅した。絵のことも、イエス・キリストのことも、誰に
も聞けなかった。聞いてはいけない気がした。磔刑自体も絵に纏わ
る不可解な問題も、ただただ恐ろしいだけだった。

町にひっそりとある教会を思った。クリーム色の古い教会の屋根の
頂きの十字……あれは十字架なのだろう。初めて教会と十字架を意
識した。あれは人を殺す道具だ。イエス・キリストの死の象徴だ。
幼い私にはそれ以上知り得ることはできなかった。教会の前を通る
時には、恐ろしさに俯いた。いい子でなかった私は、自分が磔にさ
れるのではと怯えた。教会自体も謎だった。恐ろしい十字架を掲げ、
何をしているのだろう。悪い人を捕まえてきて磔にするのだろうか。

それ以来、私のクリスマスは変わった。無邪気にはしゃぐ気分には
なれなかった。数年後、枕元にプレゼントは届けられなくなった。
十字架の恐ろしさから解き放たれたのはいつだったか。
無知の中に、恐怖を忘却した頃、町の教会は鐘塔を持つ煉瓦造りの
素敵な建物に変わった。

キリストの生涯について、曖昧な知識を得たのは倫理の授業だった
か。マリアへの受胎告知、ヨセフの煩悶、飼い葉桶のイエスの誕生、
ヘロデによる嬰児大虐殺、エジプトへの逃避行……影の部分を含み
ながらも、光の如きイエス・キリストの誕生の喜びを、クリスマス
は物語り賛美を歌う。
救い主イエス・キリストは人間の救済の為、犠牲としてこの世界に
誕生した。人々を愛し、人々の苦痛、罪を担う為に自身を与えた。
その生涯と死は罪深い我々の為にあった。
神たるイエス・キリストは死すべき人間の現身となりこの世に生ま
れ、人類の罪を贖う為に十字架で死んだ。十字架の縦木と横木は神
の愛が上から下へ、神から人に、イエス・キリストを通じ示された
ことを表すという。神の愛を身に受けた者は、神を愛し他者を愛す
る者に変わりゆく。イエスの死を通して示された神の愛、その愛に
基づく人間同士の和解、それこそが十字架が象徴するものらしい。

クリスマス……幼い頃、恐怖に戦いた磔刑のイエス・キリストを毎
年思い出す。ベラスケスが描く十字架上のキリストを前に対話する。
幼い頃とは異なる恐怖に襲われる。紛争、迫害、人権、災害……様
々な問題が絡み合う現代社会。もはや愛と和解しか解決の道はない
のではないか。隣人を愛し痛みも喜びも共有する。無関心はならぬ。 
脳裏に焼き付いた磔刑のイエス・キリストは今日も血を流している。

 *

町の教会、尖塔の鐘が大きく揺れ、高らかに鳴る。
ろうそくの灯、ひかり輝く中、今年もクリスマスのミサは始まる。

 紗野玲空

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