
外間守善『岡本太郎の「沖縄文化論」を読む』を読む
二冊目の「沖縄文化論」
買っちゃったよ。
すでに一冊持っている岡本太郎「沖縄文化論」という同じ本を、しかも同じく電子書籍で、しかも1300円も出して、買っちゃったんだ。


同じ本でもこちらはヴィジュアル版。なんつったって、「ビ」じゃなくて「ヴィ」ジュアル版なのである。巻頭に岡本の撮った写真が76葉ある。
外間守善
でも大切なのはここから。この新版には、沖縄の民族、信仰、文学、と総体としての沖縄文化研究の第一人者であった、外間守善先生による読書感想文が巻末に載っているではないか。
外間守善先生!
まあ、知る人ぞ知る、なのかな?、國學院大、東大で学び、伊波 普猷を継ぐ歌集「おもろそうし」の研究とともに、オセアニア島嶼に広がった文化をルーツとして、ヤマト文化形成の原型としての沖縄を研究解読していこうとした研究者であった。後年、法政大学沖縄文化研究所の所長をつとめられた。また若かりし頃の先生が、太平洋戦争末期の沖縄戦で従軍された時の記録である「私の沖縄戦記」は、初年兵として、戦場のまさに前線、ど真ん中、前田高地で戦った貴重な体験を綴った至高の一冊になっている。
そんな外間先生が、渡沖した岡本太郎を見た時の印象から始まって、「沖縄文化論」を書評されている一文が載せられていたのだ。ステキすぎる発見。
私は、この外間先生の書評を読むのに、家のこたつで鼻くそほじりながら読んじゃうのはさすがに失礼、そもそも家じゃあもったいないな、そんなことまで考えて、近くのスタバに移動して、襟を正し、読んでみた。(以下、外間守善先生→外間)
さて、この新版の発行は2024年4月とある。今年の4月だ。岡本の撮った76葉の写真を併せてビジュアル版として再販しようと目論んだだけでなく、外間の書評も巻末に載せておこうなどとと閃いた、中央公論社のおじさんに感謝。ありがたい。
まずは、外間書評の出だしに私は度胆を抜かれた。岡本太郎を迎えての宴会場で、彼の振る舞いを見て「無礼、辟易とした、大嫌いだった」で始まるのである。
岡本太郎が最初に久高島を訪れたのは1959年11月24日。2回目の1966年12月、イザイホー取材に訪れたときの歓迎祝宴での岡本のとった、客人らしからぬ、やんちゃで不躾な態度に、居合わせた外間は閉口してしまったようだ。
しかし、その事件のだいぶ後、外間が「沖縄文化論」を読み、岡本が天才的な深い眼力を以て島の文化を洞察している事を知って、岡本太郎のあの無礼さを、彼ならではの照れの表れなんだど飲み込んでしまったようだ。また岡本のソロボンヌ大学時代の民族学専攻と、文化人類学への強い造詣とを知るにおよんで、一層強い好感を以て読むことができたとある。
外間書評を通底して炙りだされるのは、まあ、ありていのままに言えば「べたぼれ」の「べたほめ」に尽きるのだが、わずかな沖縄滞在期間に、沖縄文化に隠匿された特徴を見抜いていた岡本の慧眼に、ことさら驚愕したというのが本筋だ。
私が今回久高島を訪れたのは今年2024年11月12日。そのときに期せずしてだけど、あの巨匠岡本太郎と丸65年の時を経て共感しあえた(笑)、「特に秀でた造形物の何もない」という、一聞では却ってアイロニーとして聞こえるような、何もない場所の、自然で肌感覚のある信仰のあり方を、ここで外間も強調しながら補完し書いている。下の一文か如実に語っているので、読者は、耳ではなくて目をかっぽじって(笑)読んで欲しい。
「何もない」という意味を持った神の在所――それが御嶽の実体なのである。・・・「何もない」はずだった聖域に、いつのまにか何かがつけつけ加えられていって変容していく姿は、神にすがって安らぎとしあわせを得ようとした人々の心の映しなのであろう。聖なる空間を石垣で囲んだり、所によってはものものしく鳥居までつけ加えた御嶽までみられる。私は、沖縄の聖空間ウガン、オン、ウタキは、日本列島各地にある村の鎮守の神社の原初的な姿であると考えている。