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沖縄久高島を訪ねる

今泊のフクギ屋敷林と集落を見ての、翌日の朝の事。那覇のホテルを9時過ぎに出て、一路南城市の安座間港へ。約一時間弱で到着し、少し待って11時の船に乗り30分ほど。向かった先は、神の島、久高島である。

沖縄に伝わる神話の舞台である以外には、特に何もないこの島を、わざわざ見学してみようだなんて、私たち夫婦以外にはいないだろうと、すっかり高を括っていたのだが、一緒のフェリーに乗り合わせた観光客は結構な数だった。下船したときの様子では30余人いた。
早速、予約しておいたレンタル電動三輪車で島を回りはじめて気づいたのは、地図片手に自転車で回っている客だけでなく、島のガイドさんと一緒に車で回っている、熱心なグループも何組かいたということだ。

そもそも、私がこの久高島を知ったのは、二人の識者の影響からである。ひとりは日本芸術界にあって謂わずものがなの巨匠、岡本太郎。以前、町の映画館で岡本太郎のドキュメンタリー映画をみたことがあって、その中で久高島の祭祀を取材したときの様子が描かれていた、ような記憶があった事。その後「沖縄文化論」も読んだ。もう一人は沖縄の有名な写真家、比嘉康雄。これもだいぶ以前「日本人の魂の原郷、沖縄久高島」という本を読んだこと。その二つともどんな描写があったのか、記憶も朧気になってしまってはいるが、それでも実際この目で見てみようと、今回の旅の大切な目的地としたわけである。

カベール岬(ハビャーン)

さて、天気は上々の久高島。意外に多い観光客に、既に観光地化されてしまったのかとちょっと落胆しつつも、私たち夫婦は電気三輪車で、おすすめ通りのモデルコースを回ってみた。まずは北へ直線の未舗装道を進み、謂われはあるけど何もない浜辺を二つほど見た後、北端のカベール岬についた。そこは大きいゴツゴツとした大岩がいくつも重畳に重なり置かれているようで、何もないけどその大岩に打ち付ける波を見れば、カベール岬は、まさに観光地とは無縁の、とても冷ややかな景色を作っていて、聖域と呼んで不思議はない威厳さを内包しているように、私には見えたのだ。
しばらく見た後、私と妻は三輪車の向きを変え、島の内側へと進めていった。

フボー御嶽

小径の脇にあるその入り口には「聖域につき、何人たりとも出入り禁止」と立て看板があり、私はにわかに緊張してしまった。もちろんそこから先、一歩も立ち入らなかったののは無論だが、実はその時の私と言ったら、岡本太郎が立ちすくんだこの場所に、60余年後の今になっても、何一つ変わらぬこの風景の中に、自分が同じように立っていること、その事実自体で胸が一杯になってしまっていたのだ。そうしてあの時、立ちすくんだ岡本は、この御嶽を「何もない事の眩暈(めまい)」と称した、この一節を突然に思い出した。映画のパンフレットに書かれていたのだ。確かフボー御嶽の写真も貼られていた気がする。この先おそらくは何もない。私も入り口に立って、そう思う。フボー御嶽の「何人たりとも」出入り禁止の看板を横にして、入口の前に立ち、何もないのだろうけど、寧ろ「場所」それ自体が神との交信の場であり、ひいては沖縄の人々の心のよすがとされて、崇め祀られている厳然たる事実。それが法律とは違う次元での「何人たりとも」立ち入り禁止という厳しい立て看板に具現され象徴されているということに、私は震え上がってしまった。つまり浅薄な私は岡本太郎になりきっちゃっていて、フボー御嶽の入り口で、如是我聞というか、受け売りのまま、太郎先生の「何もないことの眩暈」を感じて頭がいっぱいになり、クラクラっときちゃったのである(笑)。

祭祀を司る場

村に下ってきて、島の祭祀を司る幾つかの建物を見てまわり、私はなんだかホッと息継ぎをし、溜飲を下げた。カベール岬の大岩以外に何もない、フボー御嶽のおそらくは何もないだろう奥の場所に、岡本太郎先生に感化されて眩暈を感じちゃった簡単な私は、さすがにぐったりとしてしまっていたので、内地の寺社仏閣、石仏、地蔵、祠などと同じく、それら村人の信仰に拠って作られた祭祀用の造物(つくりもの)をみて、少し安心したというわけである。それにしても村内を縫うように走る道の道幅は極端に狭く曲がりくねっている。
うどぅんみゃーで写真を撮っていると、他の方のガイドで来ていたおじさんが声をかけてくれた。
「少し甘い匂いがするでしょ」
「はい、そんな気がしますね」
「その小屋はウミヘビのイラブーを薫製にしている小屋なんだよ」
おじさんは左の小屋を指差した。(写真向かって左の低い屋根を架した小屋)
「小屋の裏に回ってごらん」
私と妻が恐る恐る小屋の裏手に回ると、暗くて少し解りづらかったけど、確かに網の向こうに、生きているヘビがたくさん居るのが見えた。頭をもたげ伸び上がっている。そうして、優しいおじさんは、この場所が何であるのかを少し説明してくれたのだ。素直にありがたかった。立ち去るおじさんに、私と妻はありがとうございますと頭を下げた。

1、うどぅんみゃー(久高御殿庭)

2、うぶらとぅ(大里家)


3、うぷぐい(外間)

まとめ

沖縄旅行を終え帰宅して、私はこうしてnoteに記事を綴っているのだが、やはり以前に読んだ岡本太郎「沖縄文化論」が段々と気になってきた。そこで今一度本を広げ、久高島に関わる部分だけでも読み直して見ようと思った。
広げ読み進めてみると、久高島を自分で踏査し実際に目で見たのちの読書という意味で、以前とはまた違った、それはそれは大変興味深いものがあった。岡本太郎独特の、島嶼や辺地に残る民俗を探ることで日本固有の文化の実相や日本人そのものをつかもう、土着の民俗風習と日本を比べて何か通底するものを探す、と謂ったような比較文化論が、読むごとに幾重にも被って登場してきて、私は頷くことしきり。うんうん、そうそう。そうなんよ!完全に岡本太郎になりきっている私がいて、自分で笑えてくる。
そう言えば島で見たガイド付きの観光客の皆さん、彼らもひょっとして岡本太郎に感化されちゃった、私と同類なのかも、と思ったりもして納得する。
見出し写真は島内散策の途中にあったガジュマルの大木。ステキ。

岡本太郎「沖縄文化論、久高島」

下記の引用は、岡本が御嶽を出ての感想なのだが、彼の比較文化論にとって一番の指標、メルクマルとなっている部分だと思っているので、読者におかれては、耳をかっぽじって、目をかっぽじって、読んでほしい。

「何の手応えもなく御嶽を出て、私は村の方に帰る。何かじーんと身体にしみとおるものがあるのに、われながら、いぶかった。なんにもないということ、それが逆に厳粛な実体となって私をうちつづけるのだ。ここでもまた私は、なんにもないということに圧倒される。それは、静かで、幅のふとい歓喜であった。 あの潔癖、純粋さ。――神体もなければ偶像も、イコノグラフィーもない。そんな死臭をみじんも感じさせない清潔感。 神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向いあうのだ。のろはそのとき神と人間のメディアムであり、また同時に人間意志の強力なチャンピオンである。神はシャーマンの超自然的な吸引力によって顕現する。そして一たん儀式がはじまるとこの環境は、なんにもない故にこそ、逆に、最も厳粛に神聖にひきしまる。 日本の古代も神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか。おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感はこれと同質だった。でなければこんな、なんのひっかかりようもない御嶽が、このようにピンと肉体的に迫ってくるはずがない。――こちらの側に、何か触発されるものがあるからだ。日本人の血の中、伝統の中に、このなんにもない浄らかさに対する共感が生きているのだ。この御嶽に来て、ハッと不意をつかれたようにそれに気がつく。そしてそれは言いようのない激しさをもったノスタルジアである。」