沖縄今泊の集落を訪ねる
はじめに
先日、週末から水曜日にかけての四泊五日、私たち夫婦はまた沖縄旅行に出かけた。約半年ぶりである。いつもながら、後追いのように変わる現地の天気予報に一喜一憂、ふたりして気を揉みながらも、結果としては概ね恵まれた天気になって、晴れてこその南国沖縄、レンタカーを借りて、あちらこちらと訪れては、まあ十分に楽しめたのである。沖縄の天気予報は、まじ、あてにならねえ。
さて、今度の沖縄旅行の、新幹線や飛行機のなか、その道中では、私はまたいつもながら読書を楽しんだ。まあまた太宰治なのだが、今回選んだのは「東京八景」の、たぶん十何回目かである。
東京八景はこう、始まる。
伊豆の南、温泉が湧き出ているというだけで、他には何一つとるところの無い、つまらぬ山村である。戸数三十という感じである。こんなところは、宿泊料も安いであろうという、理由だけで、私はその索寞たる山村を選んだ。昭和十五年、七月三日の事である。
伊豆の南、温泉がわき出ていると言うだけで、と、いきなり始まっている。
「うーーーーむ!」
新幹線の前座席の背中から広げた机に、Kindleを開げたタブレットを食い入るように見つめながら、私は唸り声をあげてしまう。
語彙が乏しい私にはどうこの感動を伝えたらいいか解らない。ただ太宰の小説を読む時に、それがどんな切り出しで物語を始めているのか、巻頭の一小節は何なのかを味わうと言う楽しみも、とても大事なひとつだと思っていて、この東京八景もご多分に漏れず、私の心をギュギュッと握る、そんな出だしで始まっているのである、そう伝えれば分かって貰えるかな。
この東京八景は、東京に出てきた太宰が過ごしたネガティブな半生を、そのときそのときに住んでいた町と重ね合わせながら、ひとつひとつの風景として作り上げていくという、エッセイとも小説ともつかない不思議な作品である。読んでいるこちらを路上に叩きつけるがごとく落ち込ませておいて、途端に、手のひらを返したように、兵隊となった義妹の婚約者が行進する様を、楽しく嬉しそうに描き出すと言う、巧みな展開。まさに太宰治の中期の最高傑作と言うにふさわしい名品である。
今泊のフクギ屋敷林と集落を訪ねる
沖縄の有名なフクギ並木といえば、「沖縄美ら海水族館」から車で5分という近さもあって、水族館帰りの観光客が必ず寄るという、そう、「備瀬のフクギ並木」が有名である。
私も10年ほど前に訪れたことがあって、誰もいない静かな並木道を、妻とふたり、借りた自転車に乗って回り、ところどころの風景を写真に切り取っては、南国独特の風景を満喫した記憶がある。そのころはインバウンドが少なかったからか、ガイドブックでも水族館への寄り道程度として紹介していたのか、いやいやそうではない。違う。そもそも「映え」を追い求めるSNSがなかった、いや、あっても昨今ほど社会のなかで定着していなかったせいなのだろう、訪れる客も車も少なくて、駐車場もまあまあ空いていて、私たち夫婦は十分に寛ぐことができたという訳だ。
今回もとりあえず「備瀬のフクギ並木」に行ってはみたのだが、中程にある駐車場は、おそらくは台湾や韓国からの訪日客の車でごった返していて、駐車するにも空くのを何台も待たなければならず、並木道をゆっくり散策し楽しむどころの話ではない。
「うわあ、ちょっとこれはイケてねえ!」
私と妻は、お互いの顔をみあわせたあと、さっさとその混雑した駐車場を離れ、車を北へと進めたのである。
今回、この旅行に際して事前に調査しておいた、今帰仁村にある「今泊(いまどまり)集落」、そこが目的地である。カーナビではなくてスマホのGoogleマップで検索したのだが、かなりの高精度で集落のど真ん中、茂るフクギと巾の狭い道に囲まれたあたりへ連れて行ってくれた。googleマップ、まじ、すげえ。
HPはここ。
今泊八景。
沖縄の北、温泉はわき出ていないけれど、フクギに囲まれているだけで他に何一つとるところのない村である。戸数百といった感じである。こんなところは観光客も来ないであろうという、理由だけで、私はその索寞たる村を選んだ。令和六年、十一月十一日の事である。
ただし、その日訪ねた今泊集落は観光地では決してない、村の人たちの生活の場そのものなので、停めておける駐車場なんてあるわけがない。そもそも余所者の一介の観光客でしかない私たち夫婦が、生活の場におじゃまさせて貰う事への配慮と注意を、事前に、自分なりに学習し、理解していたつもりである。
狭い生活道路を進むと、ふと前方の左に空き地があり、またその向こうでは村のおじさんが二人、少し向こうにおばさんがいて、立ち話をしているではないか。
私は車をその空き地に停め、いそいで降りて、おじさんたちに挨拶をした。
「こんにちは、わたしたちは内地から来た者なのですが、この今泊のフクギに囲まれた村の様子を、どうしても見たいんです。すこし村の中を見学させて貰えませんか。ついてはあそこに車を停めちゃったんですけど10分ほど置かせてもらえませんか」
妻も車から降りてきて、ああ内地の中年の夫婦者がきたのかと、ちょっと安心して貰えたのかもしれない、立ち話をしていた村のおじさんも、特に警戒する素振りもなく、
「おお、そうかい、うんうん、車はそこに停めてかまわないよ、ここはそんなに珍しい所でもないけど、まあよく見ていっておくれ」
「ありがとうございます」
ガチうちなーぐち
おじさんたちはまた立ち話を始めた。私の脳天にピーンと響いたのは、寧ろこのおじさんたちの会話だった。何を話しているのかさっぱり解らない。東北にある「強い訛り」とは明らかに違う、聞いていて完全に別の言語のような会話である。「農協」(?)という一言だけが聞き取れたくらい。でもちょっと聞いていると、おっさんたちの会話は、日本語そのものの抑揚とアクセントを持っていて、外国語を聞いているという違和感はない。日本語だけど全然分からないといった感じ。
ちょっと聞いたあと、
「あの、ちなみにですが」わたしは問う。
「今、沖縄の言葉でお話していらしたんですか」
「ああ、そうだよ」
「わあ、なに言ってるのか、ぜんぜん解らなかったっす」
おじさんたちは笑っている。沖縄の有名人「じゅん選手」のCDは持っているけれど、彼のうちなーぐちとはまた次元の違う言葉のように感じた。今泊のおじさんたちの会話は、そばで聞いていても、まるで解読不可能だという事、でもしっかりと目前で生で聞けた事、私にとってはそれだけで十分に幸せであった。正に来た甲斐があった。
会話を聞いている私に、
「で、どこから来たんだい」
「○○県です、もうじき雪が降りますよ」
「ああ、そうなんだ」
「まあ、美人の奥さん連れていて、いいねえ」と妻に声をかけてくれた。
「とっても嬉しいですけど、ほめてくれても、何も出ませんよー」妻はにこにこしながら答える。
おじさんたちは笑ってくれ、和やかな雰囲気の中、挨拶をしその場を離れ、私たち夫婦は村の中を散策する事ができたのである。美人妻?に感謝!!
村内を歩く
内地の防風林を造っている松林と違って、「フクギ」が私や妻の心を安心させてくれるのは、その緑豊かな色合いを持った「丸い葉」そのものなのだと思う。その丸い葉が幾千も重なって茂るフクギの樹は、とがった松の葉と違って、訪れる人の心を丸く穏やかにしてくれる、ような気がする。
私はこのフクギとフクギ並木が大好きである。
その並木に囲まれた、少し狭い道の両脇に並ぶ、沖縄独特の屋根を載せた木造平屋の数々は、晴れた天空の青と、生い茂った緑色の情景の中に溶け込んで、謂わば「天衣無縫」という美しさを醸し出している。過去の沖縄旅行で見た、保存された名家の家々とは違って、私と妻が見ている集落の家々は、まさに生活があるがゆえに、とりわけ美しいのである。積まれた石の壁の中央、奥まった所に「ひんぷん」がある。その向こう、広い庭の真ん中には、丸い柱と壁板でこさえられた木造の平屋が、家の上には赤煉瓦に白い漆喰だけではなくて、淡い色をした瓦や、セメント瓦なのか、灰色の瓦などが乗っている。幾軒かの開け放たれた戸には網戸が取り付けられている。
薄い雲に陽の光。
緑一色の回廊と、路地の角には石敢當、
薄い潮の香りが漂う。
そして風景の中を歩く妻。
すべてが私の双眼脳裏にある印画紙に焼き付けられる
ただ、生活している住居やその軒先を見ているので、うっとりとしながらも、スマホのカメラを向けるのはちょっと躊躇った、というのが正直なところである。まあ差し支えない辺りの風景の何枚かを写真に残す事にした。
長閑な村のなかを通る静寂な並木道。比して生動感のある沖縄固有の家々の連なり。私と妻はその村落の中を歩きながら、至福と言ったらよいのか、ほっとする安心感を得たのだった。
しばらく散策してのち、駐車場に戻り、おじさんにお礼を言い、私たち夫婦は北谷のホテルに帰った。夫婦にとっても20回目の沖縄旅行にふさわしい、すてきな体験であった。妻もとても楽しかったと感想を話してくれた。