太宰治「お伽草紙・舌切雀」と、可愛いやまパンちゃんの件
1,旅の途上にて
この記事を読んでいるあなたと同じく、旅好きの私なので、つい先日、また南の島へ遊びに行ってきた。
行きに7時間、帰りに8時間の飛行機のなか、狭いシートに身を押し込めつつ、読書をするのが、私にとっては一つの楽しみでもある。席に取り付いた画面を私は一切見ない。席に座ってすぐに電源をオフにする。あなたはどうだろう。
太宰治。
最近、太宰と女たちを巡る物語をテーマにした映画が上映されていたようだ。つまり、太宰は今でも若者たちに人気を持続し得ている稀有の作家であり、私も恥ずかしながら、こうしてnoteに堂々と太宰ファンを公言して憚らないほど、深く、ふかーく私淑している。
狭いシートに数時間も拘束されるこんな機上の時などに、いくつかの作品を読み直しなどして、なるほどと感慨を新たにしているのだが、読む度毎に太宰の独特の語り口、特徴ある文体に、うーーん、と感嘆の唸りをあげ続けて早数十年。だいぶ時もすぎてしまったが、模倣すら能わず今日に至る。
さてここで質問です。あなたは太宰の作品では何が好き?
私なら、「東京八景」、「ヴィヨンの妻」、「富嶽百景」、「桜桃」、「家庭の幸福」、そして「お伽草紙」。
あ、「美男子と煙草」もいい、出だしが、いい。作家仲間にけなされ、口惜しくて妻の前でおいおいと泣いてしまって、見かねた妻がもう寝なさいと布団に連れて行ってくれるシーンがいいのね。
2,お伽草紙を読む
私は今回、飛行機の中で「お伽草紙」を再読してみた。なかんずく最終章「舌切り雀」の噺は、太宰版お伽草紙のなかでも、私が一番好きな物だ。章の前段で太宰は、桃太郎を取り上げなかった理由について「日本一」の「悪を挫くヒーロー」に対して、あーだこーだと弁解しているが、これには戦時中の世相に対する太宰の配慮が直接書かれている点で、むしろなるほどと興味深い。
これを読んでいるあなたは、お伽噺の「舌切雀」は承知だろう。作品では、太宰は自身をかさねあわせるようにして「爺さん」のキャラを作っているのだが、読み進めていくと、なんだかいつのまにかこれを読んでいる自分、つまり、爺さんが私にすり替わっているのを感じてくる。太宰治が自らをすりこんだはずの爺さんは、いつしかこの私になっている。私がじいさんであり、間接的に太宰でもあるのだ。そこがこの作品を面白くさせている理由なのだ。そうして、そこには二人の女が登場する。爺さんの細君(奥さん)と、舌を切られた可愛い雀、名前は照(てる)ちゃん、である。
3,照ちゃんはやまパンちゃんなのだ
既に主人公の爺さんになりきっている私なのだが、読み進めるままに、いつしか爺さんの奥さんは私の嫁に、雀の照ちゃんは、そう、あの可愛いやまパンちゃんにすり替わってしまっている。自分でも笑うくらい可笑しいのだけど、でもそうだ。
そうして機内に充満共鳴するゴーというジェットエンジン音も耳に入ってこなくなる。いよいよ、照ちゃん(やまパン)を見舞うために竹薮に入っていく爺さん(私)、というヤマ場にかかって来て、おそらくはニヤニヤとしながら読み進めている自分がいるのが分かる。隣席で映画を見ていた妻は、私のグヘヘヘという小声に、ちょっと気持ち悪がってこちらを見る。パパ何読んでるん?と私のタブレットをのぞき込むが、私は気にはならない。なぜなら頭の中は誰にも覗かれないからだ。おい!嫁!、うんこ映画でも見てろっつうの!
ただこの噺の顛末は、やっかみ奥さんが、雀のお宿から持ち帰った金貨の重さにつぶされて、凍死してしまうというものだが、さすがに私の妻に死なれては困ってしまうのでそこはあまり感情移入させないけど。
数時間ほど暗くしていた機内がパッと明るくなり、私は目線を上げ、さて、ここはどこだろうか、ミッドウェイ環礁の上空あたりだろうか。機内ではCAたちが朝食のクロワッサンを配膳し始めている。デルタ航空はスタバのコーヒーを提供してくれるのね、幸せ!
コーヒーをなめながら、それでも私は、照ちゃんになったやまパンちゃんを見舞う、爺さんたる自分との病床デートを、まあ鼻の孔をフガフガと広げなながも、読み続けるのであった。
4、やまパンちゃんの頭に手を置く私
やまパンちゃんにとって辛かったこの夏。具体的には書かないけれど、自分の職場にいる、周囲の人たちが起こした不遜な態度に傷ついていた毎日。その様子を語り始めたやまパンの、沢尻エリカ風なくっきり二重まぶたの、いや違う、一重だけど、その大きな瞳からは、一粒また一粒と涙がこぼれ始めていた。彼女はこの間ずっと辛い毎日をすごしている、苦しんでいるのだ。僕はそんな彼女を直視出来ずに、同時に胸がぎゅーっとなり、感極まってというのが正しかったのだろう、おじいちゃんの自分という立ち位置も忘れ、いい子いい子するように右手を彼女の後頭部にそえて、
「かわいそうに。でも大丈夫だよ、もう心配いらないよ」
「そんな根も葉もない噂に怯えて毎日オドオドしててもしょうがないじゃないか。」
今になって考えれば頭に手をおくというその行為は、確かに、彼女の受け止め方によってはハラスメント以外の何物でもないが、その時の僕はそんな判断もなく、恋のマニュアル通り、いや違う、正確には必死に我が子を励まし言い聞かせる、謂わば父親の体(てい)で、それだけだったのだ。
言い聞かせている間、僕の右手はずっと彼女の後頭部にそえたままだった。
やまパンはまだポロポロと泣いている。可愛い。可愛いのだ。
そして僕は頭のなかで彼女を慰める言葉がなかなか思い浮かばない事にいらつきながらも、それでも必死にかばい続けた。
「わかるかい、人の噂も七十五日、ていうだろ。今日はきっと76日目なんだよ。(なんのこっちゃ?)
「ここは会社だよ。友達作りに来ているわけでもないし、仲良しクラブ作りに来ている訳でもないじゃないか」
「業務を前に進める、ただそれだけをしに会社に来ているんだろ。それ以外は関係ないんだよ。」
舌切り雀のじいさんは、雀の照ちゃんを見舞ったときも、特に慰めの言葉を発する程もなく、終始無言で寧ろかっこよかったが、一方の僕はやまパンを前に必死。しゃべるしゃべる。
僕の必死の慰めに少し安心したのか、頭に手を乗せたとき近づきすぎて、僕の服の肩口にわずかについてしまった口紅を、指で拭き取る仕草をしてきた。もう一度彼女の頭に手を回し、長い髪の毛をさすりながら、話を終わらせた。
「僕にできるアドバイスってこれくらいだけど、ずっと応援しているからね。がんばりよ」
父です、父親ですね。すっかり父親気分。
彼女を職場に帰したあと、僕は上の話とは別の、こんなことも思っていた。
女の涙を、妻以外、家族以外の女の涙を目前にしたのは何十年ぶりなのだろうか。やまパン、40代半ばとは言え僕よりずっと若い。そんな彼女の流す涙を見て、僕の心のなかでは、別の熱いものが満たされていくのを感じていた。
熱いもの。それは男なり女なりが、相手のすべてを自分の心に入れておきたくなる症状なのです。それは、
「どうしよう。好きになっちゃった」
5,まとめ
中年男の恋愛報告事例がまた一つ、note上に追加されました。それだけです。
ただ、奥さんにいじめられた雀の照ちゃんと、会社の中でつらかったやまパンちゃんとの関係を上手くまとめられないのが、太宰治とは違い、私が単なる凡人たる所以、という結末を以てこの記事を終わりたい。読者の皆様、どうぞこのまま、ご査収ください。