厭世というモラル
私が思うに、「現世」すなわち「この世界」の最大の「欠陥」は、観念や理想だけでは空腹が満たされないということだ。雨露をしのげないということだ。パンを想像するだけでパンを獲得できないこの「不自由さ」こそ、あらゆる「生きにくさ」の根本なのだ。このことはもっと広く認識されてもいい。生きとし生けるものはもっと全身全霊で怒ってもいい。不快感を爆発させていい。もっとも日々を生き延びるのに必死な人たちはそんな内省事に付き合ってはいられないだろうけど。野暮天。
____________________
妻子を養うために働く、なんていう物言いのなかに不潔で痛々しいものを感じない人は、幸せだと思う。私はいつも生活を憎みながら生活している。存在を呪いながら存在している。
________________________________
自慰で射精するたびに私は、「ざまあみろ、無駄死にだ」と快哉を叫ぶ。
__________________________
大学時代の友人と飲んでいるとき、彼はしばしば「お客様」という言葉をつい口に出す。酒をしたたか飲んでいる最中も「従業員」であることを離れられない彼のことを、私は残念に思う。
______________________________
「ノーアウト満塁は意外と点が入りにくい。人生も似たようなものさ」とほうぼう借金まみれの友人がよく私に言った。この頃とんと連絡がない。いよいよ点を入れられたのかも知れない。押し出し四球が何かで。
______________________________________________
「アンチ巨人を自称する連中は巨人が負けると大喜びするよな。いつも巨人の試合のことが気になって仕方ないんだ。ようするに奴らこそ正真正銘の巨人ファンなんだよな。そのくせそのことにほとんど自覚がないんだからね」と伯父がよくこぼしていた。
________________________________________________________
「政治」の動向にシニカルな無関心を貫くことがひとつの若者的ファッションであった時代がかつてあった。そしてその若者たちはそうしたファッションを自らの自由意思による選択だと心から思い込んでいた。
___________________________
「いちばんつまらないのは教養小説というやつで、教養小説なんていうのは、ものが存在するということに対する驚きを発見するのではなく、その驚きをいかに無視するかという技術を学ぶ物語でしょう。」(蓮實重彦/柄谷行人『闘争のエチカ』河出書房新社)
___________________________
世の中のどんな過激な「反体制的言説」もしょせん「体制」の補完的役割を果たしているに過ぎないことに、早めに絶望すること。「青年」から「大人」になるということはそういうことなのかも知れない。「いやそんなはずはない」。
______________________________
「優しい顔をした美少年的青年」という理想に愛執する私の心にはあきらかに「大人の男」への恐怖感情と「大人の女」への忌避感情が同居している。「優しい顔をした美少年的青年」はさながら「慈母」のごとき存在でありながら同時に「たくましい兄」でもあるという、両性具有的存在である。私にあっては「ペニスを持った母親」は「どこまでも自分を守ってくれる無限に優しい保護者」であり、そうした象徴受容の可能性は「若くて中性的な男の美しい肉体」のうちにしか見出せない。
_________________________
「弱者」は自己嫌悪のあまり「同類である他の弱者」にことのほか厳しく当たる。「強者」はそもそも「弱者」の存在が目に入らない。してみると「弱者」には最初から味方など存在しない。
という雑な結論に十九歳だった頃の私は達していた。
そもそも「弱者」とは誰の事であり、「強者」とは誰のことか、という問題がある。いっけん出口の見えない抽象論的問い掛けに過ぎないが、さしあたり私はそれに対していつも強い実感を持って答えることが出来た。生存上、「厭世」という否定情緒をほとんど強いられない人間が「強者」であり、そうでないのが「弱者」である。ごく単純。いかにも白面の書生論。
してみると、「こんな残酷で生きにくい世界は嫌だよ、早く死にたい」としょっちゅう考えている人間は、仮に彼彼女が一国の最高権力者であったとしても、「弱者」ということになる。こんな馬鹿な話はあるか、と自分でも思う。でも当時の私は、「社会的地位」や「財産の多寡」のような「客観的基準」を以て「弱者/強者」を判断することに、強烈な抵抗を感じていた。なぜだろう。そこに何か「秘密」があるような気がしてならない。私の「頭の弱さ」や「直観のにぶさ」の根本的原因が潜んでいるような気がしてならない。自分の労働力以外に売るものがのない末端労働者よりも資本家のほうが「強者」であることは、誰の目にも「明らか」だ。にもかかわずあの頃の私はそうした物言いを素直に呑み込むことが出来なかった。
______________________________
世を厭う、という精神態度こそ「モラル」の機軸を成している。いや成す「べき」だ。