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2020年オンライン学祭 蒼天祭ローカル放送局の経験と失敗

蒼天祭ローカル放送局のきっかけ

コロナウィルスが流行していた時期にコロナで大学へ行けない学生に大学の雰囲気を大学には一切許可を取らずに発信するラジオ「勝手に情報大ラジオ」をはじめてしばらくした時期のことです。


学校祭でも「ラジオをやりたい!」

学校祭でも「ラジオをやりたい!」と学生実行委員にアポをして打診。

しかし、
当時は学校祭自体をオンラインでやるのか、、、
オンラインでやるならどうやってやるのか、、、
そもそも中止になるのか、、、
まだ確実にオンラインで学祭をやるか決まっていない状況でした。そのため、実行委員会側の反応は「一旦要件は飲み込んで前向きに検討します。」という返事でした。

そんな打診をした次の日、日中に大学の先生から「なにか企んでいるの?」と連絡がきました。この先生からの言葉が地域向けのオンライン企画をやる大きなきっかけとなりました。

地域の人に向けた学祭をやった理由

地域の人をターゲットにした学祭をやった理由は2つです。
まず1つ目は元々、本大学の学祭は学生も来ますが地域の方にもたくさん来ていただくようなイベントでした。
2つ目は地域の人たちと接点も持ちたかったラジオの2人は、その元々の学校祭でのターゲットとラジオの2人のやりたい事が一致。地域の人をターゲットにした企画を担当する事になりました。


当時の流れ

ラジオの2名は当時大学2年生。ラジオの2人にとって学校祭という行事は、初めて運営として関わるイベント行事の中で一番最初の行事でした。なので、それまでは大学行事の運営等は一切お手伝いをしたりしたことはありませんでした。そんな行事の流れが一切分からない中で、大学行事の実現に向けた活動が始まりました。
企画の決め方はラジオの2名が企画を考えて先生に伝える。そしてダメ出しを食らう。この繰り返しから始まりました。

その企画案出しをしつつ大学のドン。事務局長の方のところへ先生と訪問。今考えている企画についてお話をさせていただきました。快く了承をいただきました。そのときの僕は緊張してほぼ何も話していません。


その裏で先生にも自分たちの知らないところで動いていただき、先生のつながりから先生を経由して学校祭に出演をしたいただきたい方へ1人1人に合わせて企画書を作成して出演のお願いをたくさんしていただいていました。
その先生のご協力をいただいて決まった出演者の方。そして自分たちで声をかけに行って決まった出演者の方で最終的に企画と番組の構成が練り上がりました。

さらにその裏で初めてのオンライン学祭に向けて必要となる機材を先生が事前に他の研究室にお願いをして調達。
加えて当時は大学からのライブ配信は大学のセキュリティ上難しいことろもあり大学学内の情報センターの裏の方(普段学生とは関わりのあまりない方)にまでもご協力をいただいて学内からのオンライン配信ができる環境まで整えていただきました。

蒼天祭と蒼天祭ローカルが別々になった理由

当時のサイトTOP 蒼天祭のHPです。その中に「蒼天祭ローカル放送局」があります。

蒼天祭と蒼天祭ローカル放送局について

・蒼天祭=昔から続いている情報大学の学祭です
・蒼天祭ローカル放送局=ラジオの2名が立ち上げた学祭です。

最終的には「蒼天祭ローカル放送局」という形で学生実行委員とは別企画として立ち上げることになりした。
なぜ、そうなってしまったのかについてです。当時はフットワークふっ軽のラジオの2名とプロジェクト活動の一連の流れを熟知されている大学の先生コンビで動いていました。

一方でコロナで思うような活動ができず、大学側から実行委員会室に向けて集まれるメンバーも制限をかけられ身動きがとりにくい状態の実行委員会。そんなこともあり実行委員はなかなか思うような活動ができていませんでした。
当初、ラジオの2人はは学校祭を別々にやるという発想は一切ありませんでした。しかし、なかなか動けない学生実行委員を横目にふっ軽で何も気にせず次々と動いていてた私たちとはどうーしてもスピード感が合いませんでした。

このままでは、ラジオの2名と先生の考えている学校祭の企画を、これまでやっていた学生実行委員会のこれまでの学校祭を全て飲みこんで、ラジオカラー全開の学祭になってしまいそうな雰囲気でした。
なので、結果的に完全に分かれる形で開催をした。という経緯があります。

当時の情報発信における考え方

多くの人に知って欲しいという思いがありました。なぜなら大学の行事ではあるもののあくまでも地域の外の人に向けたイベントであったからです。

なので、内から外に向けて情報発信をしようと考えました。当時は学校祭に向けての活動がすべてはじめての経験だったということもあり、何もかも新鮮では楽しくもありましたが次々とやらないといけないことが出てきて正直広報どころではありませんでした。
そこで私はどういう手段を取ったのかというと、「もはや学校祭までの過程を宣伝しよう。」
そう考えました。ただ、毎回写真を撮るのも大変ということで取った手段はこれです。


頭の上にカメラを載せて1日中録画しっぱなしにすることです。
実際の動画がこちらです。

正直、早送りをしすぎて何がなんだかわかりませんが今思うと対面時期の学校祭であれば、学生が実際に準備をしている様子や、普段のなにもない時期の校内と学校祭に向けて準備をしている学内の雰囲気は全く違っていて、準備の様子を見て自然と「あと少しで学校祭か」なんて話をすると思います。ただ、それがコロナで完全オンラインという状況の中で自分たちで絶対に開催できるとは分からいイベントであってもいきなり「○月○日に学校祭をやります。」と急に言われてもそもそもその情報を見ていない人も少なくはないと思います。
ただ、今回のように過程という裏側から情報発信をすることで当日いきなり知ってもらうのではなく、開催当日までじわじわと興味をもたせていくということはとても重要であり大切であったと感じており、当日までの過程を発信することに重きを置いていました。

出演依頼の仕方

突撃アポで連絡です。何も特別なことはしていません。
ほぼ営業のような形で直接Twitterや問合せに連絡をさせていただきやりとりをさせていただきました。当時はこの人にこの企画で出て欲しいというのは序盤の方はまだなかったので、「地域向けの学祭をやりたい」のでご協力いただけませんか?という形でご連絡をしました。

他には先生の繋がりで、この人に声をかけたいならこの近所の方とつながっておくと良いというご連絡をいただきそいう方のところへ先生と一緒にお邪魔をさせていただいたりしました。


大学行事ではじめてリーダーを経験

他人と接点をたくさん持って、一つの目標(今回であれば地域の人に向けた学祭)というのをやる経験ははじめてでした。

肩書上は「総合リーダー」という形でしたが正直先生にほぼ助けていただいのが本音です。

そして、当日にライブ配信を行うメンバーというのはその先生のゼミの学生の方々やOB、後輩。ライブ配信について僕は全く指示をせずラジオの2人が思いっきり当日を迎えることができるように手配をしてくださいました。
本当に感謝しかありません。自分だけで絶対にできなかった経験でした。

やらかしたエピソード

実際に進めて行くに向けて数え切れないほどの経験と失敗しました。言える範囲で1つとりあげたいと思います。
・本番直前まで動画編集追いつかなかった事件

内容としてある企画の動画編集(1コーナ)を担当していてそれが当日になっても一切終らなかった。という事案です。
この動画を担当していたのは私でした。なぜ終らなかったのかは明白です。完全に佐野が既にキャパオーバーだったということ&さらに不慣れな動画編集にも関わらず周りと相談せずに制作をしていたということが完全に自分の悪でした。
結果、動画自体は不十分な状態で終わってしまいました。

メディア

最終的には新聞・テレビでご紹介をしていただきました。



学んだ事


・オンラインの時代だからこそ開催当時の様子だけでなくそれまでの過程が見れることが大事。過程で興味を引きつける。
・企画の内容を紹介する時は資料の作成を個別に作成しその個々に合わせた提案を行う。
・先のゴールを想像した時にそこにあるもの。想像であっても今手元に無いもの。将来的には必要となるものを想像し事前に用意をする
・事前に懸念材料を出しておき、それも同時に解消をする。
・ひとりでゴールは目指すことは簡単だけど、もっと遠いゴール(理想)に近づくなら仲間が絶対に必要
・ライブ配信はいくらリハーサルをやってもトラブルがつきもの
・なんでも自分で抱え込まない
・定期的に自分の作業は確認をしてもらう

最後になりますが、ご協力をいただいて全ての方に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

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