会社に属すると、本質を考える余地がなくなる
会社や学校という場は人の本質を思考されないための場所なのかもしれない。
そう思うようになったのは、一人暮らしをはじめて生活が落ち着いき散歩をしている日の事だった。
本質を考えるって簡単な事じゃない
本質を考える、探すってすごく難しい
時間がかかるし、無意識に染まった思考で探すことなんて不可能に近い。
だから、長い時間をかけて集中して考える必要がある。
でも、それを大きく阻害する要因は会社だったするのではないか。
(ここで伝えておくと、私にとって会社は「消費する場所」という認識です。)
仕事という忙しさで人の冷静な思考を与える時間を奪う。
仮に仕事が終わって「家に帰ったら冷静に物事を考えられる」と言うとそんな訳はない。
仕事で忙しくしていれば疲れがくる
結果的に考えようと思っていても体はそうはさせてくれないのだ。
(私のような人が社会に対して「会社は歯車だ」というのかもしれない。)
人は本質から逃げられないのに逃げる傾向にある。
本質を分かっていても、その本質について触れたら、莫大な面倒くささが襲ってくることが分かっていたり、周りの人間関係に大きな変化を与えてしまったり、想像できない何かが起こりそうで人は本質から逃げたくなる。
でも、本質を見つけてしまって突っついてくる人は皆、見つけてしまったが故に逃げられずに本質となるものに対して答えを探さずにいられない。(人は「これだっ!」と思うと視野がぐっと狭くなってしまうものだ)
お酒を飲んでも本当の答えにはたどり着かない。
というか、お酒を飲んでストレスを発散しようとする人一時的な快楽を使って一瞬の気持ちよさ、あるいは自分を一時的に楽して我慢を継続させるための手段でしかないのではないか。
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