八光亭春輔師匠の落語に出会ったことを記しておきたい|黒門亭 & 特選落語集
【季節感ゼロ注意報】
〜ただいま過去のキロク掘り出し中です〜
何を隠そう(?)わたくし、この1年半ほどのことを、「落語のこと、好きになってしまいました フェーズ2」と題しておりまして。
真の落語ファン(?)には笑われてしまうかもしれないのだけど、ここのところ、「どうやらわたし、落語のこと好きになってしまったみたい……」の第二フェーズに突入している感がある。
— 明李(あかり) (@akari__sano) June 22, 2022
要は、新しい噺家さんに出会えば出会うほど、落語の芸の多様さ、懐の深さに惹かれて、もっと聴きたい人が増えてしまって困っているよ!ということですね。
ふっ、「何をいまさら」ですか?
チミは偶蹄目なのかい? というくらい、いくらでも同じものを反芻していられる性質なもので、我ながらスローペースかなぁとは思いつつ。
ここ1年半ほどの期間、わたしの心の箱庭のなかには、登場人物が急激に増えた実感があります。
要は自分なりに少しずつ視野が広がってきて、楽しみ方にもバリエーションが生まれ始めているように感じているのだけれど、基本的にド単細胞なので、最初に楽しさや奥深さを教えてくれた人のことは、ヒナ鳥の刷り込みばりにこれからも愛は永久(糞重)
— 明李(あかり) (@akari__sano) June 22, 2022
沼のかたちを(自分の手の届く範囲で)少しずつさわって確かめているところなので、ある程度満足したら、少しずつ潜水を深めて沼のなかみをもっとこの目で確かめていけたら良いなー
— 明李(あかり) (@akari__sano) June 22, 2022
ひとりの噺家さんでも聞けば聞くほど、新しい面に出会うだろうし、噛めば噛むほど美味しいだろうと思っているのに、こうも魅力的な方々ばかりでは、いかんせん追いかける側のわたしの体力も資金も時間も追いつかなくって、嬉しいやら困ったやらの悲鳴が止まらない。
そんなフェーズ2のさなか、出会ってしまった。春輔師匠に。
春輔師匠との遭遇 その1
黒門亭第二部
三遊亭東村山 狸札
柳家小もん 浮世床 - 夢
八光亭春輔 松田加賀
〜
柳家三之助 替り目
三遊亭歌奴 電話の遊び
2023/03/19
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/107356095/picture_pc_ca8a84ec0f98d6d11b4bb22da8e7a113.png?width=1200)
「電話の遊び」が雲助師匠版からどんな風に展開されているのか拝見してみたくて。それが落語協会2階という、電話室の再現ほどではないにしろ、お座敷サイズの小さなハコで拝見できる喜び!
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 19, 2023
この幻をみたあと、有り難くもすぐに歌奴師匠のネタ出しを発見し🙏、しかも前方が小もんさんとあればもう行っちゃうよね〜 https://t.co/2xLuSgWXxa
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 19, 2023
盛遊会不在で、旦那はテコヅルさんに「ヤボだねぇ」とはぼやかれていなかった電話の遊び。
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 19, 2023
根っからの遊び人風情を漂わせる雲版は、後半戦ほぼ聴かずに昂まっちゃってる感があるのだが、歌奴師匠は割と聴き入っている感じで、確かにこの旦那は聞こえよがしに野暮天とは言われなさそう。微笑ましい😂
春輔師匠の「松田加賀」も面白かった!知識の仕込みが多い割にサラッとサゲるので、珍品とのお言葉に成程と頷く。
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 19, 2023
個人的に、演じ方によっては、フラリと横道に逸れて余計なことを考えてしまいそうな噺だなと思ったけど、カラっと聴かせるのは春輔師匠のお人柄なのかな。さっぱりしていてかっこいい。
春輔師匠との遭遇 その2
第20回 特選落語集
(途中から)
五街道雲助 商売根問
八光亭春輔 莨の火
〜
柳家小満ん 伽羅の下駄
柳家さん遊 猫の災難
2023/03/20
日本橋公会堂
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/107356162/picture_pc_c1f7128889891f5574fc27790f1a7d12.png?width=1200)
ひゃ〜〜〜たのしかった!夢ごこち!
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 20, 2023
第20回特選落語集
五街道雲助 商売根問
八光亭春輔 莨の火
〜
柳家小満ん 伽羅の下駄
柳家さん遊 猫の災難 pic.twitter.com/tCIBJn29mO
以前小里ん師匠が他の師匠の好きな噺という質問に、さん遊師匠の猫の災難と答えていらして、今日聴けるのを楽しみにしていた!
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 20, 2023
わたしはさん遊師匠のお姿を見るのも初めてなくらい。渋い師匠だ〜と思っていたら、噺が進むに連れて、わっわっチャーミングが押し寄せてくる〜🙈https://t.co/SS23sjFLYT https://t.co/wVL4j8HNtv
遅れてしまったので、雲助師匠の最高に呑気な商売根問から。また仕事に戻らなきゃなのに、今この呑気さは危険すぎる。色々なものが抜けていく……!
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 20, 2023
昨日に続いてな春輔師匠。
たばこの火はどこに出てくるの?と思ったら、そういう……!その先の展開に色々な可能性を想像して脱線しそうになるのに
春輔師匠の独特な語り口で、虚実の境界線が曖昧な世界に留められる。一種のトランス状態。
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 20, 2023
落語聴いている間、結構頭を動かしちゃってるんだなと師匠を続けて聴いて思った。春輔師匠、チル説。
仲入り後が小満ん師匠の珍品なのもたまらなかった!擬音も小満ん師匠にかかれば最高にたのしいお遊び☺️🙏
いや、虚は虚なんだろうけど、この心地よい語り口に騙されているんじゃないか、この先になにか落とし穴があるんじゃないかと疑いながらも、ただふわふわ漂って、よくわからないけど心地が良い。は〜愉快、愉快。
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 20, 2023
なんか寂光四景との距離が近づいてきている気がする……危険。エムズさんこわい!
*
2日連続で遭遇できたこともあり、またその両方が珍品というのも大きかったかもしれない。けど、師匠の語り口がとても独特で。わたしが聴いた二席では、始終ゆったりとしたペースを崩されていなかった。
どちらも初めて聴いた噺。
特に「莨の火」は展開が読めなくて、ああ、次はどうなるんだろう? と畳み掛けるようにひとり頭のなかで展開しそうになるのを、「まァ待ちなさい」と言わんばかりに、春輔師匠の口跡に絡めとられる感覚。こちらのペースなんてお構いなしに、春輔師匠が紡ぐ時の流れに巻き込まれていく感覚。
なんて心地良いんだろう。
春輔師匠の高座に出会って、ここ最近は特に、脳で落語を聴いていたんだな、と気がついてしまった。これでも自分の理屈っぽいところは重々承知していて、よくないぞ!と意識はしていたのだけれど。せっかく五感が備わっているのに、自ら知覚を抑えつけてしまっていたなんて。
わたしはもっと、自由に落語の世界とあそびたい。
わたしにとっては、さん喬師匠とはまた異なる種類のととのう高座だな、春輔師匠。クセになりそう……。
— 明李(あかり) (@akari__sano) March 20, 2023
なにより、二席とも、ある意味無責任とも言えるほど、サゲでパッと手を離されてしまう。ああ、とっても「落語」だなあと、師匠のお辞儀を見ながらクスリと笑えてしまう、あのなんとも言えないさわやかさ。
かえすがえすも、気持ちの良い高座だった。
* * *
折しも春輔師匠の高座に出会った後、落語協会から抜擢真打の発表があった。抜擢された人、その影響を直に受ける人、それぞれの思いや本心など素人にはわかろうはずもありませんし、おめでたいお話に水を差すつもりは毛頭ありませんけれど、スピードや勢いがそれほど大事なものだろうか、なんてことを思う。
もちろん自分の名を世に知らしめたいという野心の強い方は相応の戦略が必要だとは思うのですが、世の人のすべてが、そうした強い光を発するスター性のあるものだけを愛するかと言ったら、決してそうではないと思うんです。
わたしなどは強い光の当たる煌びやかで賑やかな世界は、実はすこし苦手なほうで。嫌いなわけではないけれど、どうしても疲れてしまうので、その空気だけに触れ続けてはいられない。
こうして落語を好きでいられるのも、落語会の在りかたも、噺家さん自体も、とても多様で層が厚いから。
今をときめく華々しい人気者の師匠に、ひたすら我が道をゆきコアなファンに愛される燻銀の師匠。素朴でほっとする存在であったり、その人でしか出せない独特な味があったり、ほどよい毒素が心地よかったり、本当に色々な噺家さんがいらっしゃる。
大勢で賑わう広いホールでの落語会がある一方で、秘密倶楽部のようにひっそりと素朴な芸を楽しむ会、完成品を一方的に受けとるのではなく発展途上を和やかに見守る会もある。
もし、落語を取りまく世界が華々しく、すべてにスポットライトが直射していたら、こんなに惹かれてはいなかったと思うし、探検の途中でまた新しい出会いと発見があるのは、演者さんにしろ興行主さんにしろ、ひとえにその道を貫いて地道に歩み続ける方々がいてくださるから。
なにかを好ましく思う感性には、ずっと変わらないものもあれば、変容していく部分もある。ある時点ではその魅力に気づくことができなくても、どなたかが道をつなぎ続けていてくださることで、やがてタイミングがきたときに、どこかの地点で、自分ともまじわることができる。
そのことがとてつもなく、有難い。
春輔師匠にも、もし落語を聴き始めた当初、人物の演じ分けのコントラストばかりを注視していた頃のわたしだったら、ほんとうの意味で出会えてはいなかったと思う。
芸の道を歩む人や、職人と呼ばれる人たちが稀有な存在であるのは、外側から一見すると同じことの繰り返しとも取られそうなことを(もちろんそうは思いません)、世間の波に呑まれることなく、何十年もの間、粛々と続けていらっしゃるからではないか、そんなことを改めて思います。
もちろん継続には、人気や動員、話題性といったエネルギー源や、世に知られるための種まきも必要でしょうけれど。そのことに過剰に振り回されることなく、自分の道を貫いていただきたいと思うし、「長生きも芸のうち」と言うように、どうか芸に身を置くひとが、みな健康で長生きしてくれたらいいなァ、なんて思います。
なんでこんな遺言みたいなこと言ってんだろう。笑
元々六十代でも若手と呼ばれるような業界を見ていたから、こんな悠長で無責任なことを思っちゃうのかもしれない。なんにせよ、わたしにできることは、まっさらな目でその世界を探検し続けて、そこで出会った自分の好きな人たちを、変わらず見つめていることだけですね。
おしまい。