構文 〇〇じゃないんだけど〜
「人格否定じゃないんだけど〜」
ていう出だしでスタートする人格否定してくるラインをあの時見てた。いやいや、めっちゃ否定してるやんってことを覚えている。
発表をするためのグループがあって、その練習へのやる気がなかったり参加率がわるかったことに我慢できなくなったのか、その時にいた2、3人のうちの1人がグループラインにめためたにキレたラインを投下してた。既読してるのに返さないことにさらにお怒りなのか次弾を投下。煽った結果、他の人たちからの謝罪ラインが返ってくる。
自分はその時、練習に参加していた。でも、その人たちの、怒りが根底にはあるけれど、怒られて思った通り何も返せないみんなの反応を楽しんでいるように見えて、距離をとって携帯を見ていた、もちろんグループラインに返事はしなかった。
あの時の嫌悪感もしっかり覚えている。
その日の夜に送られてきたのが
はじめに書いた、人格否定じゃないんだけど
のライン。正直、肝心の人格を否定された内容がまったくと言っていいほど思い出せない。
ただ、丁寧に前置きして否定されたことと、
けっこうな長文のラインだったから同じ長さくらいの文で返事したほうがいいかなと文字数のかさ増ししていたことだけ覚えている。
〇〇じゃないんだけど〜
から続くのは、言い方をまるで否定してるわけじゃないかの変えつつそうだと言いたいだけの定型分ですかね。嫌じゃないんだけどこっちの方がいい。みたいな、濃度の差こそあるけれど、
〇〇って思ってることがほとんどかもしれない。
相手に対しての優しさじゃなくてめちゃくちゃ自分に矢印向いた言葉だなと思います。それをつけとけば、免罪符のように否定できるような、そんな言葉
そう考えるとめっちゃ便利で使いやすい。
嫌じゃないけど、こっちのほうがいい。
こんな感じで自分も使ったりしているけれど、
まさか頭の部分、人格否定でもいけるのかと
じゃあだいたいなんでもいけるやん。
ドブってわけじゃないんだけど、もっと歯磨いた方がいいと思う。とか。
盾を持ってそれでそのまま殴られる感じ?
思ったことを正直になんでも言うのが1番いいのかはわからないけど、なるべく、自分のためのセコガード言葉は使わないようにしていきたいな。
結局あの時から、人格なんてそんなに変わったわけじゃないのであの時否定された人格はあの時と同じような温度感で人格否定されたことを根に持っています。怒りたいわけでもなくただただ胸の中に残っています。実際はおれも悪かったんだと思うし。
まあ、なにが悪かったのかはまったく思い出せないところがダメなとこなのですが、、
ひとまず、〇〇じゃないんだけど〜って言ってくる人に出会った時は「じゃない」くらいでもう聞くのやめましょう。〇〇の部分が言いたいことなのでその後の長々しい言葉は聞くだけ無駄です。
自分の様にラインの時はそっと閉じて、面と向かってのときは相手の顔のほくろを数えましょう。
何より、自分の心を守ろうと思います。
来週も頑張っていきましょう!!
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