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その傷と共に生きていく。

長くなりますから、Dreamy先生の曲を聴きながら読んでみてください。


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人を潔く嫌いになる事が出来たらどれだけ楽だろうか。

好きなことを続ける事は簡単な事ではない、それは心のどこかでは分かっている。もっともっと先の事だろうと思っていたけれど、それは瞬く間に私へ襲いかかってきた。

たかだか20年と少し生きてきたくらいで、人に何かを言えるような立場ではない事は十分に理解している。
だからこそ平気で人を苛める人の思考が理解出来なかった。正直者、と言えば聞こえはいいが、自分以外の考えは全く理解が出来ないのでそれは辞めてください。のようにも聞こえてくる。

言われた所でなんだ、って思えばそれで楽になれるはずなのだけど、
私はその言葉一つ一つに一喜一憂してしまっていた。
誰もお前なんかの為にやってない。そう言えば楽になれたかと考えたが、
そんな事を言ってしまえば薄情者だ。別にお前が嫌いな訳ではない。

好きな事を続けていく、やりたい事を続けていく。
それは自分の為であり、選択権は間違いなく自分に存在している。
他人に何かを言われた所で、そいつが責任を取ってくれる訳でもないし、
助けてくれる訳でもなければ、協力してくれる訳でもない。
助言と言えるほど良いものでもない。

本来自分にとって、「どうでもいい人」に分類される人たちも、
長い月日の中で、「大事な友人」に移り変わっていったのだ。
それも自分勝手に。偶像。虚像。実像と言えるほど形を成していなかった。


自分の価値観を相手に押し付けてしまっていないか。
最近はそんな事を時々考えるようになっていた。
すなわち、これまでの自分は押し付けてしまっていた、という事になる。無意識に人を傷つけてしまっていたかもしれないし、誰かの気持ちに添えなかったかもしれない。

理解してほしい、解釈してほしい、というのは傲慢だ。
しかし、勝手に分かったような素振りをされるのも気持ちが良いものではない。嗚呼。私という人物そのものが欲張りで出来ているじゃないか。そうに違いない。

そもそもSNSという存在自体が価値観の押しつけなのではないか。
そんな事を考え始めてしまうと元も子もないが、今こうしてここに言葉を書き残している以上、それは押しつけになってしまわないのか。

否、それでも私の感情を書き残さないと、また何を考えているか分からないと言われてしまう。ひとりひとりと対話出来たら一番早いのだけど、そんな時間も、そんな暇も、そんな面倒くさい事はしたくない。第一にメリットがない。

しかし、どうしてここまで他人を第一に物事を考えてしまうようになったのだろうか。自分というものが今ここに存在しているにも関わらず、目線は常に通りすがっていく人々に焦点を置いている。

自分よりも誰かを大事にしている。と言える程良いものではない。
大事にしている訳でもなく、大切にしている訳でもない。
私という身体がここにありながら、遥か遠い所に自意識があるような感覚。

人に良いように見られたい。それは当たり前だ。
良いように見られた方がこれからとても生き易いのだから。

人に嫌われたくない。それも当たり前だ。
嫌われた所で何の生産性もない。私という壁の内側には来ないで、と言われてる感覚に陥るうえに、これからその人に会う事も、言葉を交わす事もない。

矛盾を抱えた私を、誰が一番愛さなければいけないのか。
誰が一番大事にしなきゃいけないのか、それは紛れもなく私だった。

例えば、身体に大きな傷を負ったとする。
その傷を治癒し、完全回復にまで至る、それが最善策なのだが、
それが「心」だったら如何なものか。
心の内を言葉にして表す事はとても難しい。変に心情を表現しても間違った解釈で捉えられてしまうと、治るどころか傷口はさらに大きくなる。

治癒させるよりも、その傷と共に生きていく事も一つの手段なのではないか。その傷も含めて、「私」なのだと、理解して解釈して生きる事だ。

過去になったモノたちが、未だに私を苦しめ続けているのは確か。
悦ばしい記憶や、幸せな記憶は8割を占めているけれど、
残った2割の苦しみに今も未だ齷齪してしまっている事がとても情けなくて悔しい。忘れたくない、いや、忘れてはいけないに変換され、「心」という支柱の欠片となって自我を支えているのも違いない。

過去に縛られている訳では無いのです。度重なる出会いも会話も行動も全て同じという事はないじゃないですか。全てが初めてで、明日何が起こるかさえ分からない訳なんですから、その時に過去の記憶のおかげで乗り切ってきたじゃないですか私達は。

私は私で、自分は自分。
君は君で、あなたはあなた。
ひとりひとりが生きてきた道筋も、出会ってきた人も、触れたモノ、見てきたモノ、愛した人も全て違う。みんな違ってみんないい、とまでは胸を張って言えないけど、他人の人生の物差しで測られる事もひとつの考えになる。モノの見方ひとつで変わるんだ。


この先、未来の私は今の私を淘汰し、また新しい自分に生まれ変わるだろう。

瞬間瞬間で変わっていく世の中に抗う為に、時代と共に生きる為に、

あなたと共に生きていく為に。















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