日記
2025年1月10日
星野源さんの「いのちの車窓から」を読んでいると文章を書きたくなった。以前、星野源さんの「それでも生活は続く」を読んだ時も同じような感情になったことがあった。源さんのエッセイがとても好きだ。文字通り赤裸々、すっ裸。テレビでもラジオでもSNSでもYouTubeのMVにもLIVE映像にも見えない源さんありのままの言葉たちが打ち込まれている。
京都に移り住んでから、ラブホテルの清掃業をしている。もともと奈良に住んでいた時からホテル関係の仕事をしていたこともあって、とりあえず生活費を稼ぐ為にこのホテルを選んだのがきっかけだ。知らぬ間にここで2年が経っていた。2023年の秋から夜勤に移行し、夕方から次の日の朝までホテルで働いている。おかげさまで2024年から2025年に変わる瞬間もこのホテルで迎えた。本当に最悪である。勘弁してほしい。
夕方から深夜12時ぐらいまでは、休憩のお客さんが出る部屋を僕とあと2人のバイトで回し、清掃をする。深夜から朝にかけては清掃員は僕1人になる。基本的に深夜は、宿泊のお客さんが退室しない限り、仕事がない。深夜は風呂場の水気を拭く大きなタオルを洗濯して干したり、休憩室やトイレを掃除したり、何かしらやりながらお客さんが出るまで待機している。よっぽどのことがない限り横になったり、眠りにつくことはしない。ほとんどはパソコンでこうして文字を打ったり、作業をしたり、本を読んだりしている。今日は年が明けて初めて鬱が脳内を襲ってきたので、数年前にSNSで出会った旧友に電話をかけて話を聞いてもらった。夜中なのに本当に申し訳なかったが、おかげでだいぶ心が軽くなったので、また「いのちの車窓から」の続きを読み始め、言葉が書きたくなって今に至るのである。
ラブホテルで働いているということを、周囲にはあまり伝えていない。なぜなら、佐野夜と全く関係ないからである。カメラとか、短歌とか、いやラブホテルて!!!という感じじゃないですか。その他にも、ラブホテルという媒体自体があまり世間的に良くないイメージがある(個人的に)から、言いづらいという部分もある。
そういえば話が変わるのですが、1ヶ月記録というものを毎月続けていたら、2年が経っていました。もう3年目。そもそもなぜ1ヶ月記録を始めたかというと、僕という愚かな生き物が記憶や感情というものをすぐに忘れてしまうものだから、未来の愚かな僕が当時の記録を見て、「あ〜こんなこと感じてたな〜。」と回顧出来るように、というのが始まり。基本的に今でも愚かなのは変わっていないので、記録を読み返すたびに胃に穴が開くような痛みに耐えている。全然慣れない。逆にびっくりしている。
当初は日記をつけようと頑張って毎日書いていたが、まあこれがてんでだめで続かなくて、1ヶ月分だったらこんな愚者である僕にも続けられるんじゃないかと奮起したら、なんとなく成功したのである。1ヶ月記録を書く為に、何かしらあったらメモ帳につらつらと日記のようなものを書く。それらをまとめて、月末や翌月頭に出している。
継続は力なり。文章の構成力も、語彙も、以前と比べてまだましになったとは思う。
源さんのエッセイを読むと、頭が痛くなる。これは良い意味で、エッセイがシンプルに面白すぎるから。源さんが感じた喜びや悲しみが脳内になだれ込んでくる。どうしてこんな面白い文章を書けるんだ。もう源さんになりたい。もう源さんの足の爪でもいいから、源さんの一部になりたい。どうか神様、なんとかなりませんか、お願いします。
なんだか、堅苦しい言葉よりも、こういう砕けた言葉を書くほうが好きだ。1ヶ月記録よりも100倍すらすら書ける。なんだろう、1ヶ月記録は言葉を生み出してるような、一月分の自分を濾して滲み出してきたものを文字に変換して書いているような感じ。一応『記録』だからね。形式だけでも堅苦しくしておかないといけないような気がしている。気、がしているだけで本当はそうじゃなくていいのかもしれないけれど。hahaha~~~~~~~~~
急にこの日記を読んでいる誰かに幻滅されたらどうしようと不安になってきた。佐野夜感全然ない気がしてきたぞ…。本当はこんな奴なんです、良い奴なんです。仲良くしてください、本当に…。許して…。
ちょうど書くタイミング無くなったので源さんワールドに戻ります。また気が向いたらこんな感じの日記を書きます。気が向いたらだけどネ!!!