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記録
京都に住み始めて、もう4ヶ月が経とうとしている。夜、眠ろうと目を瞑っていたら、奈良に住んでいた時の事を思い出した。いや、思い出した、というより、思い出そうとした、の方が正しい。
昔の感覚を取り戻すのは到底無理、でもその記憶の中の全てを消し去る事は出来ない。長い間この体と共に生きてきたのだから、忘れようとしても忘れられない事の方が多い。
人間のことは大嫌いで、大好きだ。相反する2つの感情が二律背反となって脳内を駆け巡っている。今までの自分自身の性格を鑑みると、とてもおおざっぱで、なるようになるを強く信じていた。近頃はどう?過去の失敗から学んでかなり慎重に生きているじゃないか。失敗を恐れている訳ではないけれど、理屈的で効率主義になっている。自分があまりなりたくなかった現実像が目の前に憚っていて、そいつをどう倒そうか常日頃考えている訳でありまして。
眠る時、優しかった人の手の感覚を思い出す。冷たくてひんやりとした手を、頬に当てながら眠る。冷たさが温もりに変わる瞬間をいつも覚えておこうと思うのに、いつの間にか私は眠っている。眠る少し前に聞こえてくる一定のリズムを保った吐息が前髪を揺らしている。いつだって思い出すのはこの瞬間で、その後のことはいつも思い出せない。
そうしている間に朝が来て、隣には誰もいなかった一人暮らしの夏。窓辺の花瓶に刺さっていた向日葵。
自分らしさ、というものを失ってしまった。どこに置き忘れたかも覚えていないし、いつの間にか目の前の事に精一杯になりながら生きていたらもう思い出せなくなっていた。時にそれが酷く寂しいものであると分かる時には遅くて、後ろを振り返ればすぐに断崖絶壁が聳えていて戻ることも出来ない。自由を手にする為に選んだ選択が、返って不自由になっているどころか、身動きが取れなくなっているではないか。これからどうするつもりなのか自分にかなり長い時間をかけて問うている。朝になれば全て忘れるだろう、夜は容易に身体を蝕み始めるから油断してはいけない。
常に私の身体の中には2つの人格が備わっていて(多重人格ではなく)、現実世界に紛れ込みながら血眼になって必死に生きようとしているパブリックな部分と、他者とどこかで差別化を図らないと見つけ出してさえもらえないから、歪な形をした芸術的で文学的な「何か」を突き詰めるパーソナルの部分。後者はかなりセンシティブな要素を持ち合わせていて、「何か」というのは何なのか、一体自分でも分からない。わかりやすい形に落とし込む事が出来ていない、だけかもしれないけれど。
この世の人間は基本的にパブリックの割合が多いから、分かってもらおうとすればする程、その「何か」はパブリック寄りに次第に変化して、もといたパーソナルの性質は飽和され失っていく。大きく変わったものを作る、というよりかは、パブリックの要素を8割、パーソナルの要素を2割に落とし込まないと、そもそも評価もされない。これは自分にとって諦念の領域、願いのような概念が消えていくのを体感した瞬間。
無くなれば、補充すればいいじゃない。
---君は、本当にそう思うのかい?
この世に「替えの存在」なんて幾らでもいるじゃない。あなたがまだその存在を見つけられていないだけじゃないの?
---その、無くしたものと同じものが欲しいんだ。
同じものではなくても、似たようなものならいくらでもあるよ。あなたは過去の偶像にいつまでも囚われているだけだよ。
---例えば、もう触れる事が出来ないあの人の手を、あなたは誰のものなのか知らない人の手に触れる事で、その枯渇した感情を潤す事が出来るのかい。同じ人類の手というだけで、君は満たされるのかい。心を満たす事が出来るのは唯一無二の存在だけだよ、君にはきっと分からない。理解する事なんて出来ない。城にいつまで経っても辿り着かない測量士のように、チェコでもドイツでもなく、ユダヤ人でもなくキリスト教徒でもなかったカフカのように、現実世界にも、この世界にも、いずれにも属する事無く曖昧なまま死んでいくんだ。なら君は、フリーダのように救ってくれるのかい、僕を。
あなたは、本当に—————
2023,2,20 am4:40:21 記録