東海道でしょう
どうも、現代の武士こと佐野翔平です。
火縄銃の射撃競技選手をしたり、伝統工芸品の販売をしたり、子ども向けに「ダンボール甲冑教室」という歴史に触れるイベントを開催したりしています。
中学2年生の時に火縄銃の演武を見たことがきっかけで、日本の歴史や文化に興味を持つようになりました。
そして「日本とは何なのか」を追求しているうちに色々と拗らせ今に至ります。
今回は、僕が東海道徒歩の旅に挑むにあたり、前情報として皆さんに知っていただきたい情報を書きました。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
東海道とは
皆さんは東海道をご存知でしょうか。
東海道とは、本州太平洋側の中部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から近世)を指します。
古くは7世紀(西暦601〜700年代)から始まっていますが、徳川家康が整備した五街道としての道が皆さんのイメージしている東海道だと思って話を進めます。
簡単に説明すると、人や荷物を移動しやすくするための整備された道です。
五街道としての東海道の誕生
徳川家康は、1601年(慶長6年)に「五街道整備」により、五つの街道と「宿(しゅく)」を制定し、街道としての「東海道」が誕生しました。
日本橋(江戸)から三条大橋(京都)に至る宿駅は、53箇所でいわゆる東海道五十三次です。
また、箱根と新居に関所を設け、その後、1603年(慶長8年)には、東海道松並木や一里塚を整備しました。
この頃に宿駅伝馬制度をしくのですが、全国の街道整備の皮切りが東海道でした。
宿駅伝馬制度って、なんのこと?
「宿駅」とはもともと街道沿いの集落で、旅人を泊めたり、荷物を運ぶための人や馬を集めておいた宿場のことです。
また「伝馬」とは、幕府の公用をこなすために宿駅で馬を乗り継ぐ、その馬のことをいいます。
そして、公用の書状や荷物を、出発地から目的地まで同じ人や馬が運ぶのではなく、宿場ごとに人馬を交替して運ぶ制度を「伝馬制」といいます。
これにより、各宿場では、伝馬朱印状を持つ公用の書状や荷物を次の宿場まで届けるために必要な人馬を用意しておかなければなりませんでした。
こうした人馬を負担するのは宿場の役目でしたが、その代わりに、宿場の人々は屋敷地に課税される年貢が免除されたり、旅人の宿泊や荷物を運んで収入を得ることができるという特典がありました。
これにより、街道沿いの宿は発展していきました。
現在の東海道
交通手段が徒歩から車や電車などに移り変わってくると、主要な幹線道路として利用されなくなっていきます。
それに伴い宿場町としての勢いも廃れてしまうのは世の常です。
しかし、高速道路や新幹線という新たな道が開拓されても昔ながらの道が完全に消失したわけではありません。
これぞ「日本人の粋」とでもいうのでしょうか。
東海道としての道は現在も残されているのです。
当時の人々が歩いた道
宿駅伝馬制度によって、荷物や手紙などは同一の人物が運ぶことがなくなったと言えども、旅行などで人そのものが移動する場合には、最初から最後まで同一人物が歩くほかありません。
当時の人は江戸〜京都までを14、15日で歩いたそうです。
東海道は総距離514kmですから、15日で歩くとすると1日約34km。
時速4kmで歩いたとして、1日9時間弱歩いたことになります。
驚異的な体力と脚力ですよね。
刺激された好奇心
火縄銃の演武団体に所属するようになり、以前より昔の人の暮らしに興味を持った僕は徒歩で移動していた人々の感じていた苦労を同じように体験したくて仕方がありませんでした。
しかし、会社員として働いていては到底15日以上の休みを得ることはできませんでした。
ですが、2021年の夏、人生の転機が訪れます。
脱サラし、個人でやっていくことにしたのです。
そしてこれをチャンスと捉え、かねてより気になっていた東海道徒歩の旅に挑戦することにしました。
東海道でしょう
北海道出身の人気タレントが主演の某人気番組「水曜どうでしょう」から感化されたタイトルを付けて挑むことにした企画です。
内容はシンプルで、東京日本橋から京都三条大橋までの514kmを歩くというもの。
とはいえ、期限や道中のルールを決めないと面白くないので色々と考えてみました。
ルール1
期間は23日間とする。
流石に当時と同じ日数では不可能だと感じ、現代人で同じようなことをしている人が居ないか調べました。すると居たのです。その方は23日間で踏破していたので、同じく23日間で達成することを目標にしました。
ルール2
日本を紹介する
日本の歴史や文化を知るためのきっかけを作りたいと常に言っている僕にとってこれほどのチャンスはないと思っています。
ただ歩くだけでなく、当時の面影を感じる場所や、エピソードなどを紹介しながら進んでいこうと思いました。
今回の主な発信方法はYouTubeです。
1日、3〜4回のライブ配信を予定しています。
また、ダイジェスト版として編集したものを後日UPします。
ルール3
サイコロで予算を決める
サイコロの出目によってその日に使える予算が決まります。
予算とは、宿泊費、飲食費、資料館などの入場料等です。
オンラインショップサービス、BASEにて、今回の旅の支援権を販売しています。
BASEで集まった支援金を、今回の旅の予算とします。
また、BASEで支援してくださった方の中から抽選で当たった方に、お土産をお送りします。そのお土産代も、予算の中から算出します。
まとめると、サイコロの出目によって以下の予算が決まります。
・旅で使える当日予算
・お土産の予算
以下、詳細なルールです。
①出発する直前にサイコロを2個振る(出目に応じて掛け率が決まる)
②前日の支援金額を、サイコロの出目によって〝当日の旅費〟と〝お土産代〟に振り分ける
③サイコロの出目によって決まった旅費が支給され、お土産代はそのまま積み立てていく
④当日余った旅費は翌日に繰り越される
▼出目よる予算の振り分け▼
2…前日の支援金額の20%を旅費として、80%をお土産の予算へ
3…前日の支援金額の30%を旅費として、70%をお土産の予算へ
4…前日の支援金額の40%を旅費として、60%をお土産の予算へ
~
10…前日の支援金額の100%を旅費とする
11…前日の支援金額の10%を旅費として、90%をお土産の予算へ
12…前日の支援金額の20%を旅費として、80%をお土産の予算へ
このように、視聴してくださる方にも楽しんでいただけるように考えてみました。
各ご支援は下記リンクよりお願いいたします。
また、ライブ配信やダイジェスト版は下記リンクから視聴できます。
お見逃しのないように、チャンネル登録をお願いいたします。
そして今回の旅に関する発信は企画用のTwitterアカウントからチェックできます。
「#東海道でしょう」で旅の応援をしていただけると嬉しいです。
街道沿いのオススメの飲食店や歴史スポットなど、皆さんからの情報をお待ちしております。
協力者紹介
今回の厳しい旅にカメラマンとして同行してくださるのは漫画家のかいちさんです。
彼は今回の企画に同行するにあたり、下記のように言っています。
当初は1人で行う予定だった挑戦ですが、かいちさんのサポートのおかげで成功する確率がぐんと上がりました。
そしてかいちさんの他にも裏方として企画用アカウントを運営したり、ボディメンテナンス面を担当してくれたり、衣装協力をしてくれたりと、たくさんの方に支えていただいております。
いくら感謝しても足りません。
本当にありがとうございます。
最後に
「ライブ配信をやりたいから」とYouTubeのチャンネル登録者数1,000人を目指していた時から今までと違う何かを感じています。
今の僕は過去の活動の中で1番注目されている実感があります。
それだけ期待されているということを感じています。
最初は僕の好奇心から始まったことですが、今ではたくさんの人の好奇心のも背負っているのだと気付かされます。
だから何としても東海道を踏破します。
文字通り、命懸けで挑戦します。
それから当たり前ですが、健康面に関しては万全にして望みます。
体温測定は、出発の10日前から毎日行っています。
始まってからも、異常があった場合には即中止です。
こんな時代なので様々なご意見いただきますが、できる限りのことをやりながら活動を継続していきます。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
引き続き、応援をよろしくお願いします。
令和三年八月
佐野 翔平
最後まで読んでいただきありがとうございます。 その他の記事も読んでいただけると嬉しいです!!