ラスベガスにポーカーしに行ったら軟禁された話
こんにちは、最近ラスベガスから帰ってきた三宮つばきです。
ご存じない方も多いと思いますが私は最近ポーカーにはまっています。
(ポーカー用Twitterサブアカウントまで作っている始末)
5/13~7/19までの期間ラスベガスではポーカーの世界大会(通称:WSOP)が行われていてノリと勢いでなんとなく参加しに行ったら帰国できなくなりました。
まずラスベガスは日本から飛行機で12時間くらいかかります。
乗り換えなども含めて移動時間を総計すれば家を出発して大体一日かけて移動する感じですね。
アメリカには一度も行った事がないし英語も最低限しか話せないので1人で行くの心細いな~誰かと一緒に行きたいな〜とか思っていましたがなんだかんだ1人でいく事に…。
WSOPには多くの日本人が参加するので現地にさえたどり着ければ、あとは何とかなる予定でした。
1日目 想定外の入国審査
ロサンゼルス国際空港でラスベガス行きに乗り換える関係で入国審査はロサンゼルスで行うことに。
ちなみにLAX⇔LASは東京⇔大阪くらいのイメージです。
入国審査の列に並んでると「この前来た時は2時間かかった」と話してる日本人がいて(え…乗り換え間に合わないじゃん…)と思っていたらコロナ禍で人が少なかったのか20分程度で呼ばれました。
安心したのもつかの間。審査官に予想の3倍くらい質問されて嫌な汗をいっぱいかきながらなんとか入国。後から知りましたがアメリカの入国審査は割と質問が多めだったみたいですね…。
ラスベガス行きのチケットを発券してロサンゼルス空港をうろついていたらおばあちゃんに道を聞かれました。日本でも道を尋ねられるほうですが、どう見てもネイティブじゃない私に話しかけるって相当話しかけやすそうだったんでしょうか。
なんやかんやありながらなんとか一人でホテルまでたどり着きました。ちょっと英語力に自信がついた1日でした。
2日目 挨拶は絶対
1週間滞在分の水やお菓子を買いに大きな薬局に行ったらレジのお姉さんに「Hi~~How are you?….。…?…How are you!!!」とでかい声でめっちゃ詰められて「アメリカでは挨拶は絶対」だという洗礼を受けました。
目があえば挨拶、エレベーターに乗り合わせて挨拶、すれ違って微笑み、ポーカーの席に座って挨拶。何事もまず挨拶から。
無言や無表情は「なんかこの人やましいことでもあるのかな」と警戒されてしまうみたいです。これに慣れるまで数日かかりました。
3日目~5日目 風邪をひく
ラスベガスは砂漠の中にあります。ストリップのネオン街をたった20~30分離れるだけで景色は砂漠になります。湿度は10%程度しかなく常に乾ききっているせいで喉が完全にやられて風邪をひいてしまいました。
WSOP期間は日本人も多く渡米していますが大体みんな来てすぐに軽く風邪をひいているようでした。
といっても1日2日寝込めば治る程度のもので誰もこの風邪をそんなに深刻にはとらえていませんでした。
そう。コロナ陽性者がでるまでは…。
海外の有名プロポーカープレイヤーや日本のプレイヤーが続々陽性報告をだしはじめたのです。
6日目 PCR陽性
アメリカから日本へ帰国するためには帰国便出発の前72時間以内に採取した検体でのPCR検査等でのCOVID-19陰性証明が必要だったので私も検査しに行きました。
結果は翌朝とのことだったので、風邪症状もあるし少し不安だなと思いながら就寝。朝起きてメールを開いたらなんと陽性。
帰国後すぐ仕事が入っていたこともあり急いでマネージャーと社長に連絡。
もちろん予定の帰国便には乗れない。帰れない。どうしよう。どうやったら帰れるんだろう?まさかこんなことになるなんて…。帰って卵かけごはん食べたかったのに…。
7日目~12日目 怒涛の調査
アメリカではコロナ陽性者は5日間の自主隔離を要請されます。
保健所に連絡とかアメリカ側から隔離先を指定されるとかではなく、日本のインフルエンザと同じような扱いで「家で大人しくしててね」という程度の措置です。
その間に私は「どうやったら帰国できるのか」ということを徹底的に調べました。「そんなのPCR陰性になったらに決まってるやん」と思いますよね?
しかし一度コロナに感染するとPCR検査は滅多なことでは陰性になりません。その期間およそ20日間。なんとPCR陰性になるのを待っていたら20日もかかるのです。
そんなのラスベガスに軟禁されてるのと同じです。
それに気づくと同時になんだか日本政府に怒りが湧いてきました。
そもそも72時間前の検査を義務付けておきながらどこで検査できるかすら情報がない。陽性になったらどうしたらいいかも公表されてない。そんなの義務を背負わせる責任を果たして無い!
でも怒っても仕方がないので超必死にいろんなことを調べました。
調べた結果はこちらです。気になる方は読んでください。
結局、風邪が治っているのにPCR検査が陰性にならないことを領事館に伝えればなんとかなる事が分かりました。
しかしこの事実は今日まで公式にはどこにも発表されておらず、問い合わせて初めて分かる事でした。ちょっと対応酷すぎませんか?
13日目 再検査
自主隔離期間が明けて「風邪が治っているのにPCR検査が陰性にならない」ことを証明するために再度PCR検査を受けに行きました。
なんとそこで陰性がでました(!??!?)
検査結果の有効時間は72時間。
息をつく間もなく急遽帰国便を手配する事に。
想定外に5日間もラスベガスに軟禁されて、しかも外にも出れず、ポーカーもできずただただ退屈。さっさと家に帰って卵かけごはんを食べたい。
ということで最も早く乗れる翌朝の便で帰る事にしました。
ラスベガスに来ている日本人からは「コロナ大丈夫~?ん?明日帰るの?急だね!」と沢山言われました。
14日目 卵かけごはんにありつく
なんだかんだ隔離明け最短で帰国することができ、運が良かったです。
予定では1週間滞在のところを結局2週間もラスベガスに軟禁されていました。
日本に帰ってきてすぐに性病検査をし撮影に向けた準備もしつつ
松屋で卵かけごはんを食べました。
ただひたすらに米がうまかったです。
ラスベガスに行った感想
これで軟禁事情を一通りお話しましたが、最後にラスベガスに行った感想を書きたいと思います。
まず第一にラスベガス自体はあまり魅力的な場所ではないなと思いました。
日本人からするとごはんは大体おいしくないし、環境も砂漠でかなりきついです。そして歴史が浅く砂漠に突然作られたということもあり、町全体がおおきなおもちゃ箱みたいな印象をうけます。
ディズニーとかUSJにいるような感覚に似ていてすべての建物がわざとらしく、なんというか趣がないんですよね。
なので本当に娯楽のためだけの街といった印象を受けました。
もちろんそれもそれで楽しいと思うのですがパリとかロンドンとか京都とか趣のある場所に比べたら魅力はそんなにないのかなと感じました。
あとは外国人が何を考えているのか私にはほとんどわからなかったことがとても心地よかったです。
The limits of my language mean the limits of my world.
ーー私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
私は英語が話せないので英語で思考している人のことはほとんどわかりません。なのでほとんどの相手が何考えてるかわからん対象になっていました。
普段はHSPなせいもあって他人を気にしながら生きていますがそれをしなくていい、それができないという環境はとってもストレスフリーでした。
そして「私はどこにいても変わらないんだな」と再認識させられたことも今回の海外旅行では大きな経験になりました。
飛行機で移動しているときもラスベガスで軟禁されているときも日本に帰ってきた時もそれほど大きな感動や気持ちの動きはなく、「なんか気づいたら此処に居たんだよね~」というような感覚でした。
あれほど日本に帰りたいと思っていたのに、いざ自分の家の周りについてみるとなんだか昨日もいつもどおりそこにいたような気分。
なんて説明したらいいのかわからないですが、私にとっては私自身が私の家で、自分の体がどこに居ようがあんまり関係ないんだなということを再認識しました。
ちょっと何言ってるかわかんないですが、伝わりましたか…?
来年のWSOPにも参加したいので来年までには帰国の際の検査が不要になってたらいいなと思っています。
ちなみに今は体調は全く問題ないですし感染力ももうありませんので、風邪の心配はご無用です!
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
あなたの最初で最後の推しになりたい、三宮つばきでした!