作品制作|三人之会第二回公演『逃亡』|2023/8〜10月|奥田知叡
(以下の内容は、2023年8月〜10月に実施した三人之会の第二回公演『逃亡』クラウドファンディングに際し、「作品制作」と題し7回に分けて発表した文章をまとめたものです。編輯:衛かもめ、奥田知叡)
ご支援いただいた皆様
こんにちは。三人之会の奥田です。
今回から、作品制作の経過について、報告を行っていきます。まずは副題について、改めてご説明を行おうと思います。
今回の公演はー書×映像×演劇ーという副題をつけています。これは私たち三人之会メンバーのそれぞれの専門分野でもありますが、実は三人とも、造形美と物語性をどう両立あるいは組み合わせるか、という問題に個々で取り組んできました。今回私たちが協力して3つの芸術分野を掛け合わせたのは、造形美と物語性という一見矛盾する要素を一つの作品ーー高行健の『逃亡』という戯曲の中でー追求するためです。
造形を行うには、まずその物体が静止・固定していないと困難です。それに対して物語では時間と空間が変化します。物理的に舞台の場所が変化しない物語もありますが、時間は必ず流れます。一方は静、もう一方はいわば動の状態で、この二つを掛け合わせるのは困難なように感じますが、実はそれを可能としている芸術が一つあります。
それが、私が中国で初めてその存在を「再発見」し、以後傾倒することになる能という舞台芸術です。
能の台本である「謡曲」は、ある主題を軸に展開されていますが、時間は夕方から夜、空間も室町から平安・鎌倉時代へと大きく変貌します。それでいて、能の動きは個々の独立した型の連続した動きによって成立しており、型自体は造形美に富んでいます。それは面、また煌びやかな装束も同様で、例えば能の袴ーー大口ーーは、より美しく見せるために板を中に入れ、布がよれたり、凹んだりしないような工夫がされています。これらはいずれも造形的・静的な美しさを追求していると言えるでしょう。
(後記:能楽師の方からご連絡をいただき、お能の「大口」は板ではなく特殊な折り方によって凹まないようにしているとのことでした。また「半切」では後ろに畳をいれ立体感を出しているそうです。ご指摘に感謝いたします!
奥田知叡 2024年11月12日)
さて、ここで問題となるのが能の「物語」です。謡曲はリアリズム戯曲とは異なり、多くの引用がなされています。和歌、漢詩、説話など文体の異なるテクストが、ある統一主題の元、巧みに配置されているわけですが、こうしたある種のコラージュ感が、造形美と相性が極めてよく、衣装・音楽・仮面・身体というさまざまな媒体(メディア)を使いながらも雑然とした印象を観客に与えません。
つまり、造形美や視聴覚面で強い印象を観客に与えるため、複数の媒体・芸術分野を演出に取り入れようとすると、久保栄の『火山灰地』や、森本薫の『女の一生』のような伏線が丁寧に貼られたーー緻密に計算され、洗練された戯曲は向かない、そうではなく、ハイナー・ミュラー(あるいはクローデル)のようにさまざまな文体やテクストが(コラージュのように)交差した作品が、こうした他の芸術(特に映像)を掛け合わせた演出には向いています。
となると次に解決すべき問題は明らかです。
中国の実験演劇・前衛演劇の先陣をきっていた高行健の『逃亡』に、こうした複数の芸術を組み合わせた演出を可能とする余地があるのか、という問題です。
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私の考えもおいおい述べていきたいのですが、まずは現在準備しているプランについて共有をしていこうと思います。
今回映像を担当する田詩陽君は中国からの留学生で、主にドキュメンタリーの映像作品を作ってきました。現在は長編映画の制作のため東京に滞在していますが、田さんは実は中国の北京、それも東城区という私が留学をしていた「中央戯劇学院」がある地区の出身です。
現在一時帰国中ですが、テストとして、北京の胡同のいくつかの風景を撮ってきてもらっています。田君が留学生として日本人に見せたい故郷の風景、あるいは自分が好きな風景を撮ってほしいというオーダーを出しています。
撮影してくれた映像から、いくつかお裾分けをしようと思います。今回公開するのはいずれも1分弱の映像です。
胡同(フートン)とは、北京に点在する細い路地のことで、その胡同に建てられているが、伝統的な家屋である四合院です。以前のアップデートでも述べた、中央戯劇学院、蓬蒿劇場もこの胡同に位置しています。学生は学舎内の寮に住めますが、俳優を志すも人たち多く、そういう人たちはこの四合院にすみます。シャワールームが共用で、ワンルームが一ヶ月約1500〜2000元(3万円前後)と、日本円に換算すれば高価ではありませんが、中国の青年たちにとっては非常に高価です。
「それでも女の子は俳優になりたがる…」というセリフが『逃亡』劇中に出てきますが、私が留学していた2018年は、2万人が「中央戯劇学院」の演技専攻を受験していました。実は予備校のような塾があり、「中戯」に所属している先生たちが外で(高い授業料をとって)教えたりしていたのですが、その塾に入って受験の準備をする人たちは多くがこうした胡同/四合院で生活をしています。
キラキラした俳優生活/大学生活を夢見て中国全土から青年たちが集まりますが、その中で選ばれるのはたったの一握り。中国では(舞台)俳優の地位が非常に高い、という話をアップデートで述べましたが、そこに辿り着くまでは死屍累々です。『逃亡』に出てくる「娘」はこうした競争に勝ち抜き、劇場や撮影所から契約のオファーが来たのですが、天安門広場でアナウンスのアルバイトをしていたため、一夜で全てが変わってしまいました。
中央戯劇学院の学生で、天安門での運動に参加した人は少なからずいたようですが、娘は「運動」に関心がなく、お芝居一筋の俳優として描写されています。https://www.rfi.fr/tw/%E4%B8%AD%E5%9C%8B/20140522-%E7%8E%8B%E9%BE%8D%E8%92%99-%E5%9F%B7%E8%91%97%E7%9A%8425%E5%B9%B4
若い俳優へのアドバイスとして、「演劇に関心を示すだけではいけない、政治・文学・芸術・経済・科学・社会、この世で起きていること全てに関心を持ちなさい」という旨の発言や文章を時折目にしますが、高行健も同じことを考えていたのかもしれません。
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更新が滞り申し訳ありません。中国・北京での撮影が完了し、現在は映像を投影する水槽と塗料の実験を重ねています。美術と映像に関する報告は一旦お休みし、今回から、整理の意味合いも兼ねて戯曲『逃亡』について考えていることなどを綴っていきたいと思います。まとまりがないかもしれませんが、どうぞご容赦を。
まず、高行健について話します。
日本の演劇界ではそこまで知られていないようですが(後述しますが、中国の現代演劇といえば李六乙、林兆華を思い浮かべる人が多いようです)、高は1980年代前半に演出家林兆華とタッグを組み、いくつかの実験演劇/小劇場演劇の作品を発表し(『非常信号』・『バス停』など)中国における小劇場演劇運動の先鞭をつけました。89年に天安門事件が発生し、演劇における実験も一時期停滞しますが、その後90年代から00年代にかけて中国の小劇場演劇は再び活発に活動を始め、そのうち何人かは日本でも公演を行い多くの反響を呼びました(李六乙『非常麻将』(2001、2003)、林兆華『棋人』(1999)など)
今年の5月には、同じく小劇場演劇作品の作り手であった孟京輝が来日公演を行いましたが、誰よりも早く中国で小劇場演劇活動を行ったのが、今回上演する『逃亡』の作者高行健です。
実は高行健の大陸での活動期間はかなり限られています。1982年に初女戯曲『絶対信号』を発表しますが、83年に発表された『バス停』は、西洋思想の悪影響を受けた「精神汚染」であると猛批判を受け、その後いくつかの作品を発表するものの、1987年にドイツのモラート芸術研究所に、続けてフランス文化省に招聘され、高行康は88年からフランスで生活し始めます。
中国大陸での演劇活動はわずか5年ほどで、その後も劇作や自ら演出も行なっていますが、海外での活動を強いられているため、他の中国演劇人(李六乙や孟京輝)に比べれば、作品発表の頻度は当然下がります。高行健の作品は80年代の中国では非常に先進的でしたが、そこから30年以上が経過した今日、ありとあらゆるジャンル・地域の演劇、パフォーマンス、舞台を見ることできる日本の青年層に、その観念・理念は果たして届くのか?
『逃亡』は高行健がフランス滞在中の89年6月4日、北京で発生した天安門事件に衝撃を受けて書かれました。強い同時代性のもと成立している作品です。彼の戯曲や演劇観がどこまで(私を含めた)若い層に伝わり、とどくのか。届かせたいと思っているのは当然ですが、こうした問題意識の元、この企画に取り組んでいます。
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いよいよ来週から横浜での合宿稽古が始まります。
ここまでオンライン稽古を重ね、テキレジ台本を作成してきました。
テキレジの仕方も機会があれば書いていきたいと思いますが、まずは『逃亡』の登場人物についてお話しします。
『逃亡』に登場する人物は3人。
青年…二十歳
娘…二十二、三歳
中年…四十歳すぎ
いずれも名前はなく、『逃亡』のモデルという指摘もあがっているサルトルの『出口なし』(イネス、エステル、ガルサン)や、『逃亡』と同じく『出口なし』に触発されて書かれたとも言われている三好の『胎内』(村子、佐山、花岡)とはこの点で大きく異なります。
娘は今年卒業の大学生という設定なので、22歳前後となっています。青年と中年は何か具体的な設定があっての年齢というより、若者と中年をそれぞれお抽象化した年齢と考えたほうがいいかもしれません。
場所については明確な言及はありません。もちろん天安門事件は北京での出来事ですが、戯曲には立体交差、環状道路といった都市交通を想起させる言葉が使われているものの、都市を特定することは難しいでしょう。ただし、中国語の原文では娘が戯劇学院出身と明記されています。
中国ではこの名がつくのは上海戯劇学院(上海)、中央戯劇学院(北京)というように固有名詞的要素もありますが、明確に場所を北京だと描写するのなら、中央戯劇学院の略称である中戯を使えば良いのに、そうではないのがややこしいところです。
出版されている翻訳では戯劇学院を一般名詞と解釈して翻訳をしています。もしこれが中戯という固有名詞となると、以前のアップデートでも書いたようにこの娘は超絶エリートコースを歩んでいる女優ということになります。一般名詞(演劇大学)として解釈するか、固有名詞(中央戯劇学院)として解釈するかによって娘の地位・将来性・民衆運動に関わる意味合いと危険性が大きく異なってしまいます。
10月に私が出演させていただくラジオ「寝ても覚めてもぼくらはゲイ」でも、娘の性格について議論をしているのですが、娘の出身大学がどこなのかという問題は、キャラクター分析や演出にも影響しかねません。中年と青年に関してはどういう大学を出ているのか匂わせる描写はありませんが、娘だけが明確に大学の演劇専攻と描写されています。
高行健の他の作品を翻訳している飯塚容氏は「哲理性は感じられるものの、抽象度が弱まり、現実性が再び強まっているところからすると、むしろ第一期の作品に近いドラマツルギーによるものと言うべきだろう」(2003『高行健戯曲集』「解説」)と述べています。青年は意図的に抽象的な描かれ方をしていますが、娘には俳優特有の気難しさ、神経質さ、演技への傾倒ぶりなど妙に現実的な描かれ方をしており、現実的要素と抽象的要素があいまじっている点が、『逃亡』上演にあたっての難しさでもあり、面白さともおもいます。
戯曲の中盤では劇中劇の描写もあり、俳優や演劇、舞台に足してもメタ的な書かれ方をしているようにも読めます。この戯曲以降高行健は中国(大陸)の演劇界は関わることがなくなりますが、『逃亡』を中国演劇界への離別宣言と読むのは穿ち過ぎでしょうか。
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今日で合宿稽古5日目となりました
今日から演出助手も二人体制で稽古に臨みます。水・映像・演技・明かり…こうした複合的な要素を整理・調整するために、稽古の段階で音や映像、照明を実際に使用しています。演技を決めてからそれぞれの要素をそこに当てはめて作るのではなく、明かりや映像を頼りに俳優の表現を引き出したりもします。
戯曲の中に描かれる世界と、「いま、ここ」の劇場で私たちが共有している空間をどうリンクさせるのか。さまざまな「仕掛け」をほどこしているところです。
初回公演の『胎内』では、戦争そのものを描いた映像ではなく、戦争中に働く「市民」を描いた映像を中心に使用しました。今回も出来事そのものではなく、その「周辺」を舞台に持ち込むことを考えています(詳細に関しては「 Vol13作品制作②映像」をご覧ください)。
映像と言っていますが、実は今回の公演で使用する映像は二種類あるのです。三人之会メンバーである田詩陽さん、今子青佳さんがそれぞれ映像を制作しています。描くものが全く異なる映像をどう組み合わせるのか、俳優の演技がどう変わるのか、その辺りも注目してみていただければ幸いです。
明かりも、初回公演よりもさらにレベルアップできるように、実験を重ねています。初回公演では演出が自分でオペレーションを行いましたが、より洗練したものにするためプラン・オペレーションのための人員を別途用意しています。キャパシティが数十人の小劇場の場合、公演によっては演出家が自分で照明オペレーションを行うこともあると思いますが、今回のように水や映像を同時使用する場合、照明の調整は繊細なものとなるため、稽古の段階から照明を仕込んで実験を行っています。機材の台数は実は初回公演と変わっていないのですが、使用法は少し変えています。劇場である三鷹SCOOLの天井は3m弱と、バトンがないためブラックボックスの劇場のように十数台を天井に吊るすことは困難ですが、水と映像のコンビネーションを意識した照明作りを行なっています。この辺りもぜひ注目してみてください!
手短でありましたが、映像や照明といった部分に関してお話ししました。
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いよいよ本日午後から水槽作りを行います。演劇での水の使用法としては、天井からシャワーのように降り注ぐことが考えられます。もしくは舞台面を高くして、池のように浸かることができるスペースを確保する舞台も時折ありますが、今回の公演では従来の小劇場における水の使用法とは全く異なる使い方をします。(もちろんモデルはあるのですが、それはアフタートークでお話しするかも…?)
現在私たちが稽古場として使用している若葉町ウォーフで水槽を作った後、これをバラして三鷹SCOOLまで持っていきます。安全性と組み立てやすさの二つが両立できるように水槽作りを行なっていきます。
水槽の作成が完了すれば、水を投入し防水性を確かめます。その後照明や映像を投影し、影や反射光を調整していきます。三人之会の初回公演では水滴を模倣した(もしくは録音した)音を多用しましたが、今回のように実際に水を使用する場合は、音を使用しない演出も考えられます。この辺りも意識しながら稽古は進んでいきます。
『逃亡』には機関銃の音、銃声、自動小銃の音、戦車の音というように日本にいる我々が日常生活でほとんど聞くことのない音が登場します。『逃亡』は社会の極限を描いていますが、日本において武器が極限をもたらすことは非常に限られているため、この辺りの実感(リアリティ)をどう担保するのか、若葉町ウォーフで実験をしています。
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今日は『逃亡』における衣装についてお話ししようと思います。
「広場」での「虐殺」から逃れてきた娘と青年は、「倉庫」のような空間に逃げてきます。血糊や肉片がべったりついているため、臭いに耐え切れない娘は衣服を脱ぎ捨てます。下着(パンツとブラジャー)姿になり、ブラジャーも脱ぎ捨てます。中年と娘は一幕の終わりで情事におよび、二幕の冒頭では「裸」の状態で登場します。面白いのは、一幕の時間帯は深夜のため、明かりが一切ありません。逆に第二幕では「わずかな暁の光」が降り注いでいます。
『逃亡』は、舞台では到底実現不可能に思えるト書きと設定に満ちています。その理由に関しては、アフタートークで私なりの考えをお話しできたらと思いますが、今は現在考えている衣装プランについて、少しばかり共有させていただければと思います。
まず物理的な条件から整理すると、今回の公演では完全な「裸」になることは不可能です(というより日本の多くの劇場ではそうでしょう。偶然、日本の劇場で完全な裸体描写をした公演をみたことがありますが、おそらくそこ以外では実現不可能ではないかと思います)。そうすると、次の選択肢としては「裸」っぽく見せる衣装プランが考えられますが、そこに私は強い抵抗感を覚えました。もともと、『逃亡』では現実ではありえないような描写に満ちいてます。虐殺・セックス・裸のまま喋ること…嘘だ!と感じるようなシーンで満ちているのに、性器部分を(タイツやネグリジェなどで)覆った衣装を目にすれば、私たちは「現実」に強く引き戻されてしまいます。
現実世界(の日本?)では到底目にしえないことを、どのように三鷹SCOOLで実現するのか、今回の演出はそこに向けてプランを用意することになりました。衣装に関しては裸体になるというハードルがありますが、実はもう一点、血糊がついているという描写も問題です。劇場の照明はアンバー色のため、衣装の色と血の色(赤)の組み合わせによっては、血が持つショッキングなイメージを覆い隠してしまう可能性があります。もちろん、衣装を汚さず汚れた態で(血を無対称で)上演することもできますが、綺麗な衣装で生死にかかわるセリフを交わしては、セリフの重みが薄れかねません。
こうした諸々の要素を考慮すると、演出プランと衣装プランとはかなり表裏一体なものであることがわかります。通常は演出プランをどう衣装では表現するかを考えると思いますが、今回の演出プランは、舞台では到底再現できな戯曲のト書きをどう表せばいいかという着眼点から出発したため、衣装と演出は互いに助け合いながら作戦をたててきました。
作戦としては、現実に起こったこと=リアルな要素と戯曲が描く=抽象的な要素をどう連携させて、どう切り替えるのか、ということになってきます。
この辺りはぜひ劇場で確かめていただければと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
三人之会 奥田知叡