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作品制作 その1――何故、書×映像×演劇か(奥田)

ご支援いただいた皆様

 こんにちは。

 三人之会の奥田です。

 ご支援をいただき本当にありがとうございます。

 今回から、作品制作の経過について、報告を行っていきますが、まずは副題について、改めてご説明を行おうと思います。

 今回の公演はー書×映像×演劇ーという副題をつけています。これは私たち三人之会メンバーのそれぞれの専門分野でもありますが、実は三人とも、造形美と物語性をどう両立あるいは組み合わせるか、という問題に個々で取り組んできました。今回私たちが協力して3つの芸術分野を掛け合わせたのは、造形美と物語性という一見矛盾する要素を一つの作品ーー高行健の『逃亡』という戯曲の中でー追求するためです。

 造形を行うには、まずその物体が静止・固定していないと困難です。それに対して物語では時間と空間が変化します。物理的に舞台の場所が変化しない物語もありますが、時間は必ず流れます。一方は静、もう一方はいわば動の状態で、この二つを掛け合わせるのは困難なように感じますが、実はそれを可能としている芸術が一つあります。

 それが、私が中国で初めてその存在を「再発見」し、以後傾倒することになる能という舞台芸術です。

 能の台本である「謡曲」は、ある主題を軸に展開されていますが、時間は夕方から夜、空間も室町から平安・鎌倉時代へと大きく変貌します。それでいて、能の動きは個々の独立した型の連続した動きによって成立しており、型自体は造形美に富んでいます。それは面、また煌びやかな装束も同様で、例えば能の袴ーー大口ーーは、より美しく見せるために板を中に入れ、布がよれたり、凹んだりしないような工夫がされています。これらはいずれも造形的・静的な美しさを追求していると言えるでしょう。
(後記:能楽師の方からご連絡をいただき、お能の「大口」は板ではなく特殊な折り方によって凹まないようにしているとのことでした。また「半切」では後ろに畳をいれ立体感を出しているそうです。ご指摘に感謝いたします!
奥田知叡 2024年11月12日)

 さて、ここで問題となるのが能の「物語」です。謡曲はリアリズム戯曲とは異なり、多くの引用がなされています。和歌、漢詩、説話など文体の異なるテクストが、ある統一主題の元、巧みに配置されているわけですが、こうしたある種のコラージュ感が、造形美と相性が極めてよく、衣装・音楽・仮面・身体というさまざまな媒体(メディア)を使いながらも雑然とした印象を観客に与えません。

 つまり、造形美や視聴覚面で強い印象を観客に与えるため、複数の媒体・芸術分野を演出に取り入れようとすると、久保栄の『火山灰地』や、森本薫の『女の一生』のような伏線が丁寧に貼られたーー緻密に計算され、洗練された戯曲は向かない、そうではなく、ハイナー・ミュラー(あるいはクローデル)のようにさまざまな文体やテクストが(コラージュのように)交差した作品が、こうした他の芸術(特に映像)を掛け合わせた演出には向いています。

 となると次に解決すべき問題は明らかです。

 中国の実験演劇・前衛演劇の先陣をきっていた高行健の『逃亡』に、こうした複数の芸術を組み合わせた演出を可能とする余地があるのか、という問題です。

(次回に続きます)

三人之会 奥田
2023年8月24日脱稿

(以上の内容は、三人之会の第二回公演『逃亡』のクラファンを実施した時に書かれたものです)

(編輯 衛かもめ)

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