「短編小説」答え合わせは…#青ブラ文芸部
「杉山さん、此方の樽も見てください」
酒蔵の若旦那が俺に声を掛けた。
「おー、此処が終わったら直ぐ行く」
若旦那の徹は微笑んで頷くとその場を去って行った。徹は親父の社長に似ていない穏やかな人柄で従業員からの信頼も厚い。
大きくなった…
俺はこの田舎町で老舗と呼ばれるこの酒造会社で杜氏を何十年も勤めてきた。仕事にはプライドを持っているが、なにしろ酒は生きている。ほんの少しの温度や湿度、管理状態で、その年の味が決まってしまうから休みなどあってないようなものだった。
だが、未だに手造りに拘っているこの酒蔵の技法が俺は好きだった。最初に一升瓶のラベルに自分の名前が印刷された時の歓喜は言葉では言い表せない。
大きくなった…
もう二十年以上も昔の話しだ。女房の房江が産気づいた時も俺はこの酒蔵に居た。忘れもしない。季節外れの台風が来ると天気予報で言われて樽の様子を見に来ていた。翌日には夏の蔵開きのイベントも控えていた。
「よりによって、こんな時に…」
産まれて来る子に罪はないと分かっているが、俺は出産に立ち会えない自分の仕事をあの時ほど口惜しいと思った事はない。
それに前日、この酒造会社の社長の赤ん坊も同じ病院で元気な産声を上げたと聞いていた。社長とは言っても、先代の跡を引き継いだだけの俺の高校の同級生だ。高校の頃から、田舎町の御曹司で鼻持ちならない奴だった。
あいつが昔から俺の女房に気があったのは知っていた。でも房江は俺を選んでくれた。どんなに頑張ったところで、あいつのように裕福な暮らしはさせてやれないが、それでも大切に慈しみ続けてきた。
台風が行き過ぎ、イベントの準備がほぼ整ってから俺は病院へ駆けつけた。
房江の名前が付いた病室に入ると出産の疲れが出たのだろう。ぐっすりとベッドに眠る女房の姿があった。俺は胸にこみ上げてくるものが何なのかも分からずに小さな声で
「ありがとう」
寝顔に囁いていた。
時刻は深夜の0時を過ぎていたと思う。
女房の病室を出ると無性に自分の子供の顔を見たくなった。
俺も親父になったんだと言う実感が欲しかったのかもしれない。二十年以上前の病院は、産婦人科の警備などなかった。「働き方改革」など存在しなかったから、夜中に訪れる父親を多目に見るのが当たり前の時代だった。
俺も見てみたい、そして出来れば、この手で我が子を抱いてみたい。
そう思うのが普通の父親だろう。
俺はドアを閉めた瞬間、迷わずに「新生児室」に行こうと決めた。
どんな顔をしているだろう。
女房の房江に似ているのか、それとも俺か?
深夜の薄暗い廊下の向こうに其処だけ仄かに光る部屋が見えた。
彼処だ、彼処に俺の息子が居る。
その頃でも性別は病院で教えてくれていた。
ガラス窓の向こうに真っ赤な猿のような顔をした赤ん坊達が並んでいた。
どれだ?どの子が、俺の…
俺の苗字「杉山」と手書きで書かれた札の下に小さな小さな俺の息子がすやすやと寝息を立てていた。
この手で触れてみたい。
ガチャ
新生児室のドアはすんなりと開いた。
ああ…
カーテンの影に隠れて夜勤で疲れているのか看護師が机に突っ伏してうたた寝をしているのが見えた。
赤ん坊の柔らかな頬に俺は触れてみた。なんとも言えない気持ちが湧き上がってきた。
ん?
その時、俺の目に飛び込んできたのは隣に書かれた
「後藤」
と言う酒造会社の社長の苗字だった。
あの時…
俺はとんでもない事を思いついてしまった。この名札を変えてしまえば、俺の息子がいずれ社長になれる。悪魔の囁きが俺を誘惑した。
看護師は寝ている。
俺は手書きの名札と足に貼られたシールのようなタグを付け替えた。心臓の鼓動がドクドクと鳴っているのが自分でも分かった。
何をやってるんだ、俺は…
それにしても若旦那の徹は、ちっとも俺に似ていないな。やっぱり育った環境ってのがあるのかもしれないな。
その頃、家で女房の房江は思い出していた。
あの子は、高校生の頃からしつこく付きまとわれていた後藤に襲われて出来た子だったのよ。
そうよ、多分間違いないわ。女の私には分かったの。
それなのに後藤ってば、奥さんとも同じ頃にヤッていたのね。出産時期が、殆ど同じだなんて……
そうだ、どうせ嫌いな男の子どもを育てるなら、私の子の方を社長の座に座らせてやろう。
だから出産した数日後に名札を取り替えてやったの。
でも、おかしいわね…
何故、若旦那は私にも後藤にも似ていないのかしら?育った環境ってのが、あるのかもしれないわね。
その頃、酒造会社の社長室では社長の後藤が、にやけた顔で煙草を吸っていた。
あの台風の日、俺は女房に復讐してやったんだ。
俺は高校生の時に掛かったおたふく風邪がもとで、子供は作れないって医者に言われてたのさ。だから、どんな女ともナマでヤッてきたけどな。それが良家だか何だか知らないけど、処女のような顔をして嫁いできた女房が子供が出来たって言うじゃないか。俺は一生、この秘密は誰にも打ち明けないつもりだったから、この家を絶やさない為に喜んだふりをしたよ。でもさ、どうせ酒蔵を継がせるなら腕のいい杜氏の杉山の息子の方がいいだろう。
何処の馬の骨かも分からないヤツの子供よりもな。
だから俺はあの日……
答え合わせは……
了
山根あきらさん、また参加させてくださいm(__)mよろしくお願いしますm(__)m