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わたしと私

なにもなかったのか。
そこからなにかを与えられ、得て、ここまで生きてきたのか。
それとも、はじめからあったのか。
そして、与えられていたものを、お返ししてゆくことが生きることなのか。
よくわからないことばかり考えているぞ、わたし。

なんや知らんけどわたしは私なのだ

それでいて、わたしは私だけではないことをわたしが知っている。
私がわたしであるためには、あまりにも接続過多なのです。
しかしこれがまた、接続せずに生きるということはできかねる。


私にできることは、なにもない。
わたしはそう思っている。
なにもないことが、近頃とても悲しく、めそめそしたりもするのです。
わたしは、生きて、生きて、生きるということが、
とても難しい行いだと感じるいきものであって、
それが生活の困りごとのハブであろう。
私がおおやけの中で生活することで、
ハブからどろんしてきたところがあるのであった。


言葉は愛おしいね。
言葉よりもことばが好みだ。
言葉よりも言語が好みだった時期もあったりした。
共通言語をもたないときは傷つくね。
つくねってつくねっぽいよね。

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