誰かの言葉に支えられて生きていく
そもそも何で仕事以外に文章を書いたり、話したりするのだろう、と振り返ると「思いを誰かに届けたいから」なんだなあとしみじみ思います。
子どもを育ててきて思うのは、たとえ拙くても、単語でも、思いを発しさえすれば気持が伝わるということ。
きっと子どもと触れ合う機会が多い方なら、子どものふとした言葉にキュンとしたり、ジーンときたり、考えさせられたりした経験があるのではないでしょうか?
子どもの言葉って本当に裏がない。
採りたての果物のようにみずみずしくって、生命力に満ちている。
だからこそ私たち大人の心を打つんだと思うのです。
自分を良く見せようと饒舌な文章で語る必要はなくて、素直に感じた心のままを晒すことが、思いを伝える第一歩であり、それが何よりもひとの心を動かし、行動をも動かす原動力になるのかなと感じます。
そして時には、その言葉が誰かの生きる支えになる。
私は随分と沢山の人の言葉に支えられてきたなと思うのですが、時に子どもたちのキラキラした言葉は、何年たっても宝物のように、今でもずっと私の心で輝いています。
6年前の冬のこと。
とても仕事が忙しい時期で、そういう時に限って小学校の広報役員で広報紙づくりに追われたり、保育園の卒業アルバムのデザインを引き受けていたりでヘトヘトになっていました。
余裕がないと、あらゆる場面でミスが勃発するもので(ありがち)ちょっと落ち込んでいました。
慌ただしく帰宅して急いでご飯を作って食べ、ようやく少しほっとした所で何だか落ち込んできた私は、ついため息をつきながら、
「ママってさ、仕事も家事も何でも失敗ばっかり!100点にはできなくってダメなママだね〜。。せいぜい70点だよね、ごめんね。。」
と子どもたちに何となしに呟くと息子が
「ママはさ、仕事70点、家事70点でも足したら140点だよ!充分じゃん!」
というのです。
多分彼はもうこのくだりを覚えていないと思うのですが、思わず「ちょっとトイレ。。」とこっそり滲む涙をぬぐったのは言うまでもなく。。(よく息子に泣かされてましたw)
そんな風に感じてくれてたんだね。伝えてくれてありがとう。
思いって、言葉に出さないと伝わらない。
変に加工する必要もなくて、拙くても、短くてもいい。
ともかく感じた感謝や好意、相手の良いところは、どんどん言葉に出して伝えたらいいと思うのです。
ポジティブな言葉はそれだけでギフト。
思いを言葉にし、言葉を文章にして伝えるベースはそこなんだと子供からも教わりました。
画像は3年前に娘が母の日に贈ってくれたプレゼント。自分でこっそりお花を買い、メッセージもつけてくれました。
カーネーションは枯れてしまっても、娘からの言葉は今も、私の心のなかで明るく、彩りを持って咲き続けています。
こちらこそ、心から、ありがとう。
私も誰かに言葉のギフトをできるひとになろう!
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