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RSIの生みの親 J・W・ワイルダーとは。

今回はRSIの生みの親であり、「テクニカル指標の父」とも称される
テクニカル分析のパイオニア、ワイルダー氏にフォーカスしてみましょう

ワイルダー氏、本名を Jhon・welles・wilder jr (ジョン・ウェルズ・ワイルダー ジュニア)と言い、日本ではよく JW・ワイルダーなどと紹介されることが多いです。

残念ながら、このマガジンを書いている2024年の段階で、すでにワイルダー氏は亡くなっており、現在の彼の姿を見ることは叶いませんが、ご冥福をお祈りすると共に彼の生い立ちをここに記しておこうと思います。

1935年6月11日 大恐慌の真っただ中、米国テネシー州ノリス、今では人口2000人にも満たない小さな町で産声をあげます。

学生の頃は、自動車整備士として働き、朝鮮戦争では米海軍に従事、そこでは飛行機整備士として過ごします。
海軍退役後は、ノースカロライナ州の州立大学で機械工学の学位を取得して卒業、この時、専攻していた機械工学の分野に関する考え方も、のちに作出される多くのテクニカル指標に影響を与え、それが「ワイルダーのテクニカル指標らしさ」に繋がっているのではないでしょうか。

また、この間に妻となる、エレノア・ドーン・ベアフットと結婚し、生涯で3人の子宝にも恵まれています。

その後、ノースカロライナ州グリーンズボロ、現在ではノースカロライナ州でも3番目に人口の多いこの都市に定住し、仲間とともに不動産や土地開発のデベロッパーとして忙しく奔走し、ノースカロライナ州とバージニア州5つの都市に1035戸ものアパートを建設、大きな成功をおさめることとなります。

余談ですが、前述にも記したように、以前、米海軍にいたころ飛行機整備士として従軍していたこともあり、飛行機に造詣の深いワイルダー氏ですが、それもあってか、1000以上ものアパートを建設するというプロジェクトを担っていたころは、自家用飛行機を購入し、操縦技術を学び、自らの運転で毎日のようにノースカロライナとバージニアを行ったり来たりしていたといいます。

この時、ワイルダー氏、38歳。
不動産での成功により十分な資金をすでに持っていた彼は、次なる情熱を注げる場所を求め、不動産より資金効率のいい商品取引に目を付けます。

そして、ここでも銀の取引によって大金を得ることに成功しているワイルダー氏ですが、当然やり方によっては商品取引で多額の損失が出ることも知った彼は、ここで一旦トレードをやめ、1970年代前半から半ばにかけて、テクニカル分析に心血を注ぐことになります。

1974年にはトレンド・リサーチという会社を設立、本格的に投資ビジネスへと進出、より一層テクニカル分析の研究に邁進していきます。

そして、1978年…

ワイルダー氏は、1冊の本を上梓します。

本のタイトルは
『New Concepts in Technical Trading Systems』
テクニカルトレーディングの新しい概念というトレンド・リサーチ社から自費出版されたこの本に初めて、パラボリックやDMIなど有名な幾つかの指標と共に正式にRSIが登場しました。

これらのテクニカル指標によって、より数学的な分析を用いたアプローチが認知、拡張され、その功績を評価した米経済紙であるフォーブスの1980年10月号では「第一級のテクニカルトレーダー」として紹介されています。


こうして、ワイルダー氏はテクニカル分析の第一人者として、注目を集めることになります。

その後、1985年にトレンド・リサーチ社の主要子会社となる、デルタ・ソサエティー・インターナショナル社を新たに設立、活動範囲を世界中へと広げ、世界各国でテクニカル分析のセミナーを開催、投資に関する書籍の出版、そして時代の変化とともにこれらに関するソフトウェアの開発や販売も手掛けています。

「New Concepts in Technical Trading Systems」以外にも
「The Delta Phenomenon」
「Wisdom Of The Ages In Acquiring Wealth」
「Adam Theory Of Markets」などを執筆

様々な理論の提唱や、システムの開発を行っています。

こうして、テクニカル分析のパイオニアとして不動の地位を築いたワイルダー氏ですが、60代も半ばに差し掛かった1999年、第一線を退き、ニュージーランドのクライストチャーチへと移住します。
引退してからも、2008年まで熱心にシステム開発を続けていたといいます。
この研究熱心な姿勢、というよりは彼の性分でしょうか
これは、前出の彼の代表作でもある「New Concepts in Technical Trading Systems」のあとがきの一節にも見て取れます。

そこには
「筆者はこれまでにも検証とチェックを重ね、究極の方法だと思えるシステムをいくつか考案してきた。そしてそのたびに研究に没頭するのはやめて、このシステムでトレードをしていこうと思うのだが、結局、また今朝のように、夜中の3時に目が覚めて、新しい概念を思いついてしまう。こうなると、もうそれを追求するほかはなく、これは永遠に終わることのない研究ではないかと思うこともある」と書かれています。

きっとクライストチャーチへと移住した後も、こんな気持ちで日々研鑽を重ねていたのではないでしょうか。
その研究に対する、終わらぬ情熱にはただただ頭が下がるばかりです。

そんなワイルダー氏でしたが、2010年代に入ると、認知症と思われる症状が表れ始め、2020年に認知症とアルツハイマーと診断され

2021年4月18日

移住先であるクライストチャーチにて85年の生涯に幕を閉じます。

彼の作出したテクニカル指標たちは、発表から半世紀近くが経った今日でも、多くのトレーダーに愛され、また日々ブラッシュアップされ、その研究結果や魂は後世へと受け継がれています。

今回は、RSIの生みの親である J・w・ワイルダー氏の歴史をご紹介いたしました。
彼の歴史を知ったからといって、トレードの技術が向上するわけではないかもしれませんが、普段使用しているテクニカル指標が開発された背景や、開発者のバックボーンを知ることで新たな見地も広がっていくのではないでしょうか。


ここまで読了いただき、ありがとうございました。



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