暑いのは苦手だけれども、ちょぴっと生きやすい。
そういえば、一瞬で梅雨が去ってしまった年があったっけね。その年は、6月に連日猛暑でおかしくなりそうだったよね。なんて、この日々を懐かしがる日が来るのだろうか。
夏至真っ只中の東京は、仕事を終えて外に出ても空が高く、夕陽が焼ける。一日がちょっぴり長くなったようなそんな気がして、ちょっとずつお友達と会う機会も増えてきた。
暑いのは苦手だけれども、聴覚障害のあるわたしにとって、夏はちょっと生きやすい。
なぜかって。それは、みんながしれっとマスクを外しはじめるから。
聴覚障害のあるわたしだけれども、特にプライベートでは、聞こえる友達と過ごす時間が圧倒的に多い。聴覚障害者の世界が苦手だからとかそういうのではなくて、この世の中にはキコエルヒトとキコエナイヒトがいて、前者の方が圧倒的に多いからとかそれくらいの理由でこうなっているだけ、というそれくらいの理由なんだけれども。
そして、そのお友達とコミュニケーションをするとなると、わたしにとって特に大切になるのが相手の口の形が見えること。いわゆる「読唇術」で相手の口の形を読み取って、聞き取れる限りの音声を聞き取ってその2つの情報をを組み合わせて友達の言っていることを理解する。
マスクがあると口の形は見えにくいし、音声もやっぱり聴き取りにくい。
冬の間もわたしと会う友達はみんな口の形を見せないと……と思いつつマスクを外すわけにはいかないよなぁと複雑そうな顔をしていたし、わたしもまたマスクを外してなんて言いにくいなぁと思いながら何度も聞き返したり聞き返すことを諦めたりしてきた。
だけれども、灼熱のしかも屋外となると感染症以上に熱中症の危険もあるし、そもそも息がこもってマスクを外したがる。これはもう、絶好のチャンス。
屋外のお散歩中、お店に入って注文を終えてから「今日は暑いねぇ」なんて言いながら、しれっとマスクを外してしゃべり始めても、冬ほどの罪悪感はないような気がしていて。マスクがない分聴き返しが減って、分かったふりをすることがずいぶん減った。
世の中が少し落ち着いてきて、お友達と会う機会も増えてきて、直接会えること、顔が見られることでもう充分だと思い込んでいたけれど。やっぱり直接会う醍醐味はおしゃべりだよなぁと感じられることが、本当に嬉しい。
雨が降ったら雨傘を、日が照ったら日傘を、どんなときでも外出時はマスクを。そんな日々がまだまだ続くのだろうけれども、音の世界と音のない世界の狭間に生きるわたしとしては、マスクのない世の中が、切実に恋しい。