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まずはその誰かを、抱きしめられる世界に生きていたい。
昨日、こんなことをつぶやいた。
実はここ最近、諸々あって自分の投稿をするとき以外はあまりSNSを見ていなくて。だから、例の藤沢駅の動画も岸田奈美さんのnoteを通して知った。
障害があろうとなかろうと、好奇心旺盛な子どもとのお出かけは命懸けだと思う。毎日、朝元気に家を出たときと同じように、病気も怪我もなくまた家に帰ってくる。それだけで、もう充分すぎる。
大人の手を離すことが
車道に飛び出すことが
赤信号を渡ることが
線路に降りることが
ぜんぶぜんぶ危険だということを、彼らは知らない。
わたしたち大人からしたら当たり前なことでも、彼らは純粋に知らない。でも、経験してからではもう遅い。
わたしたち大人から見たら日常の風景でも、彼らからしたら未知のモノで満ち溢れていて。「危ないかも!」よりも「これなんだろう!」が勝るのだろう。彼らの目線で世界がどう見えているのか、わたしたち大人はもうすっかり忘れてしまったんだと思う。
動画の彼は身体も大きかったから、もしかしたら何かびっくりすることでも起こったのかもしれない。人の少ないところ、それがたまたま線路だったのかもしれない。真相は、きっと、彼にしか分からない。
自分の命と引き換えてでも守りたいその子に何か起こったとき。わたしたちは、たぶん何も考えられないと思う。ただ、無事に自分の腕の中で抱きしめる。それしかできない。
「障害があるから」「子どもだから」しょうがない。
だなんてことは、絶対にない。あれは危険だし、そのせいで困った人はたくさんいる。そんなことも、「〇〇すればよかった」なんて後悔も、誰よりも抱きしめたその人が感じているに決まっている。
でも、起こってしまった事実は変えられないから。まずは、命を守ったその人を抱きしめてあげる人が必要で。だって、あの状況で抱きしめに飛び降りたのは、たったの一人でしょう。
それで守られた命があったんだから。恐れを知らないその子を抱きしめたその人は、それがどれだけ恐ろしいことかを知っていたんだから。それでも、無我夢中で抱きしめにいった彼女を誰が抱きしめられるだろう。
「しょうがない」で済ませて欲しいんじゃない。「〇〇すればよかった」なんて綺麗事も要らない。あれが、最善だったと美化して欲しいわけでもない。
まずは助かったことに胸を撫で下ろして、彼女たちを抱きしめてから、あの事例を教訓に。
社会は、支援者は、家族は、
じゃあ、これからどうしよう。
みんなが自分ごととして、
あの場にいたらどうしただろう
同じことを繰り返さないためには何ができるだろう
そう問い直せるような世界を生きていたい。
そんなことを、いま、考えている。
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