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先生の手に包まれた、わたしの祈りの手-クリスマスイブ-
あの頃のわたしにとって、祈ることは生活の一部だった。
母の「ちゃんと感謝できる子に育ってほしい」という教育方針というか願いにより、わたしは2つのミッション系の幼稚園に通った。
最初の幼稚園は、園長先生が『天使にラブソングを』に出てくるようなhabitを見に纏う、教会に併設されたカトリックの幼稚園。
毎日、朝・お弁当の前・帰りの会と手をパチンとあわせて「アーメン」と唱えることに慣れてきたというのに、年少の7月には父の仕事の都合で引っ越しをすることなってしまった。たった3ヶ月の幼稚園生活でも右手と左手をパーにしてパチンとお祈りをすることは、すっかりわたしの生活の一部になっていた。
そんなわたしを見た母は、引っ越し先でもミッション系の幼稚園を探してくれた。それが、その後卒園まで通うことになったプロテスタントの私大付属幼稚園。(カトリック系では、途中入園できて家から通える幼稚園が見つからなかったらしい)
初めての登園日。ドキドキしながら教室に行くと、やっぱりお祈りが始まった。
お祈りをするときは目を瞑ろうねと言われていたけれど、この日は特別。手をパチンと合わせながらどんなお友達がいるんだろう……と薄目を開くと、みんなの手は組まれている。
ここのお友達は、おててぱっちんだけじゃなくて、ぎゅうってするのかぁ。
ぱちんと合わせていた両手の指をゆっくりと絡ませながら先生を見ると、にっこり微笑みながらわたしを見て頷いてくれた。
よし、今日からはおててをぎゅうってしながらお祈りしよう。
そう思って、先生ににこっと微笑み返した。
次の日。また朝のあつまりで、お祈りが始まった。
手をぱちんとあわせて、今日は目も瞑る。そうしながら先生のお祈りに耳を澄ませていると、優しくてあったかい手がわたしの両手をふわっと包んで、両指を絡ませてくれた。
あ……そうか。新しい幼稚園では、両指を組まないといけなかったんだった。
思わず両指にぎゅっと力が入る。そして、慌てて目を開いて上を見上げると、担任の先生が昨日と同じように優しくにこっと微笑んでくれた。
こうやって少しずつ、右手と左手の指を絡ませて手を組みながらお祈りができるようになったわたしは、幼稚園だけでなく、家でのおやつの時間になると、「かみさま おいしいおかしを ありがとうございます。どうぞ おみまもりください。あーめん。」と祈り、寝る前には1日を振り返りながら「かみさま すてきないちにちを ありがとうございます。あしたも どうぞ おみまもりください。あーめん。」とお菓子や1日に感謝をする幼児へと育っていった。
そして、あの日懸命に祈ろうとするわたしの気持ちを尊重して「おててが違うわよ」なんて直接言葉にせずににそっとわたしの手を包み込んでくれた先生の手の温かさは、わたしにとって最初の記憶のひとつになっていき、この時からずっと、わたしの将来の夢は「幼稚園の先生になること。年少さんの先生だったら、最高。」のまま変わらない。
感謝することだけでなく、大切な夢まで与えてくれた神様は、やっぱりすごいんだななんてことを思いながら、今日というクリスマスイブを過ごしているのです。
クリスマスおめでとう。
イエスさま、おたんじょうおめでとう。
ちなみにわたしはこの後、クリスチャンにはならない!という選択をしたので、季節の巡りゆく中で、各々の神様を思い浮かべては感謝しています。そんなわたしのクリスマスの思い出たちはこちら↓
・お気に入りのあの場所で「ふふふ」と笑うわたしたちは、神様の、周りの大人たちからの愛情に、やさしく包み込まれていた。-アドベント1週目-
・ガブリエルに憧れた日々。憧れが崩れ去った日々。-アドベント2週目-
・サンタクロースを信じるわたしと、贅沢な権利-アドベント3週目-
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