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宙ぶらりんをも、おもしろがる。
「きみの世界って、おもしろいね。」
そう言われた瞬間、ふにゃって力が抜けちゃった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
わたしは、耳がきこえない。
でも、完全に音がない世界ではない。
補聴器をつければ、騒音下でない限り相手の口の形を読み取りながらだいたいの音声を理解することができる。なんなら、補聴器を外しても音自体はそれなりに入ってくる。(言葉として理解できるかは置いておいて)
だからわたしは、完全に音の無い世界を知ることもなければ、完全にきこえる音の世界も知らないのが正直なところ。
でも、大学に入るまでの、自分がわたしは完全にきこえる世界の住人だと信じて疑わなかった。だって、わたしの周りはきこえる人であふれていたし音声言語だけで生活していたのだもの。
「手話」の存在は知っていた。きこえない人たちが使う言葉。
でも、わたしには関係ないと思っていた。だって、わたしは完全にきこえる世界の住人だと信じて疑っていなかったのだもの。
今まできこえが良かった左耳の聴力が低下し、大学に入ってから手話を覚えた。それとほぼ同時に、左耳に補聴器を装用するようになった。音のない世界に少しずつ足を踏み入れるようになった。
大学を卒業する頃には、大学で自分が専攻している分野の内容と日常生活くらいは手話でコミュニケーションがとれるようになった。もちろん、今まで通り相手の口を読み取りながら音声での会話もする。
補聴器を装用しても、音声ははっきりきき取れない。でも、大学から始めた手話を自分の「言語」とするのにも違和感がある。だからわたしは、「音声だけの世界」にも「手話だけ世界」にも属していない。
音のあるきこえる世界と音のない手話を用いる世界と狭間。
これが、わたしの住む世界。
どちらにも属さないなんて中途半端だな。宙ぶらりん。
普通にきこえたらいいのに。
だって、音楽をきくことだって音声でおしゃべりをすることだって嫌いじゃないし、カラオケだって行く。(きこえにくいから音程は取れない。それを了解している相手とじゃないと、音痴を晒すのが恥ずかしくて行きにくいんだけれども。)
いや、いっそのこと、全くきこえなくなりたい。
不謹慎だって言われちゃうかもしれないけれど、宙ぶらりんよりは自分の状態をもっと上手に伝えられるんじゃないかな。あと、音がする方の耳を下にして寝っ転がって、ぼーっと空を見たり、ぼーっと考え事をする時間が好き。静かな世界で、自分の今思っていることをぼーっと考えられるから。何にも邪魔されない時間が、何よりも好き。
手話でお話をするのも好き。だって、音がいっぱいあって混乱することもなければ、相手が必ず顔を見ていてくれるから、相手の表情がちゃんと分かる。
新しく単語を覚えるたびに、私の中での思考の世界が広がっていく。安心できる。
音のない世界でいろんなことを知っていく中で、わたしのいたはずのきこえる世界は、不完全になっていった。
でもある日、ある人がわたしに言った。
「きみのいる世界って、とってもおもしろいね」
わたしがこんなにも中途半端で、なんとも言葉に表せなくて、もどかしくて、どうしようもなかったこの世界を「おもしろい」とその人は言った。
なんだかその瞬間、一気にふにゃっと力が抜けたような気がした。
手話でお話をしているときのわたしも、音楽を聴いているわたしも、声でおしゃべりするわたしも、こうやって文を書いているわたしも、全部そのままのわたしのまんまでいっか。って。
声でおしゃべりするときに、相手にはわたしの顔を見ていてほしいけれど。ほら、口や表情が読み取れないのはやっぱり不安。
わたしが初めて手話を知って、使えるようになって世界が広がったように、わたしの気づいていない世界がこの世にはたくさんある。きっと。
それが何かは、まだまだわからないんだけれども。でも、それに気付ける感性を磨きたい。もしかしたら、その世界が誰かの世界を広げるかもしれない。それって、とってもしあわせなことだと思うのです。
#エッセイ #生活 #聴覚障害 #音の世界と音のない世界のはざまで
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