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文脈とか言葉とか経験とか。

こんなメッセージが届いた。

お昼食べる余裕もなく、退社の時間だよ。これから帰るね。

わたしは、心底驚いた。というのも、その人の職場の周りにはカフェや美味しそうなお店が並んでいて、【出社】する日はそういうキラキラしたお店にふらっと入って美味しいものを食べたり、ちょっとつまめるスイーツを手にして午後の職場に戻り、小腹の空いた夕方はそれらを片手にパソコンをカタカタ……みたいな生活をしていると思っていたから。

そんなことは全然なくて、「帰宅する頃はいつも疲労困憊のお腹ペコペコなのよ」ということを、初めて知った。なんと。わたしは出社した日、しかも遅くなればなるほど職場で何かを食べてきてしまうから「お家ではそんなに食べなくても良いや!」くらいの精神で生きていたわけで。

まさか、あの街で、コンビニのパンとかカップラーメンを食べているとは想像もしたことがなかった。し、むしろ普段より良いもの食べてくるんだろうと、夜ご飯もたいして用意してこなかった。帰ってくる時間も遅いし、と。あとわたしの仕事が、お昼ご飯を食べる時間が業務の中で割り振られていて社食でそれらを完結させているからついみんなそういう生活をしているのかと思ってしまっていた。

そういえば、そういう生活に関する事実たちをちゃんと言葉にするって、できていないことが多いんじゃないかな…なんてことをふと。

学生時代、図書館のカウンターでバイトをしていた。カウンターでピッピとバーコードを読んで本の貸し出しをしたり、利用者さんから問い合わせのあった本や論文の手配をしたり、返却されてきた本を書架に戻しに行ったり。

本が、図書館が大好きだったわたしにとって、図書館の裏側を知れること、いろんな人たちから尋ねられる本のタイトルと出会えること、お仕事の合間に好きな本を読めること……。それらがぎゅっと詰まったバイトの初日、わたしに仕事を教えてくれた身長180cmの巨人は、やっぱり【言葉】が好きな人で。

だから、おすすめの本を紹介しあったり、おもしろい記事を読みあっては意見をぶつけ合ったり、多分そういうことは十二分にしてきていると思うのだけれども、わたしはどうも言葉が足りない。

なんていうんだろう。知的好奇心が高められた出来事とか時事問題とかそういうことには敏感なんだけれども、自分の今の気持ちとか生活とか暮らしとか……そういうあたりについての言葉が圧倒的に足りない。

たとえば、お腹の空き具合だったり、家で待っている人がいるからと仕事を早く切り上げて最短ルートで帰ってきたのにそのことを言えなかったりそんな些細なことなんだけれども。

でも、お昼ご飯を何時にどれくらい食べたかなんて見た目じゃわからないから「10段階で8くらい空腹です!肉が食べたい気分です!」と言葉にしないと分からない。

「○時くらいに帰るね」の「○時」は余裕を持った退勤なのか、お家で待っている人がいるからと夕方のスイーツタイムを犠牲にしてまでダッシュで帰ってきた「○時」なのかは、見た目では分からない。

別にいつも「あなたのために▫︎▫︎したのよ!」なんて威張る必要なんてない。でも、四六時中一緒にいるわけではないからこそ、言わないと分からない。

そういう些細なことは、きっと、経験が積み重なっていけば【文脈】として理解できるんだろう。ただ、【文脈】として理解するまでの間は【言葉】にしていかないと相手のためを思い遣っての行動が相手に伝わらないし、喜んだり感謝したりしてくれないとどこかしんどくなることもたくさんあるんだろうなって。

面と向かって対話したり場を落ち着かせて向き合ったりするほどではないけれども、生活とか暮らしとか日々の【言葉】たちをもっと大切にしていける人になりたいなぁとそんなことをメッセージを重ねながら思っていたのでした。

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🌻さんまり🌻
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