吹いても膨らまない穴のあいた風船を吹き続けていたわたしへ。
あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。
ナチ占領下の日々を日記に書き綴った『アンネの日記』の冒頭文を眺めながら
ちょっくら、未来、変えちゃおうかな。
なんてnoteの白い画面を眺めながらにやにやしてしまうわたしが、ひょっこりと顔を出してきて、いまここにことばを紡ぎはじめた。
ここ最近、noteのフォロワーさんが一気に250人くらい増えた。それとほぼ同時期に、noteさんからこんなバッジが。
そう。noteをはじめて9ケ月も経ったというのだ。
noteをはじめたきっかけは、
音のない世界と音の世界の狭間で
ぐるんぐるんと考えていることを
この優しい世界「note」に綴っていこうと思う。
ただこれだけの、シンプルな理由。アンネが日記帳に話し相手を求めたように、わたしはわたしの頭と心の整理にこのnoteをはじめた。
日々あったことをつらつらと。突然あふれだす、些細だけど、純粋なきもちたちにそっと言葉をつけていく。
この作業がなんだか楽しくて。それらを、誰かとこそっと共有できたらいいな。
なんて思いながら。そのうちの162日間は24時間以内に毎日更新を続けていたし、「ほぼ毎日更新」になってからも、週に1回くらいは更新をしていた。だって、書きたかったんだもん。
でもね、ある日急にフォロワーさんが一気に増えて「誰かとこそっと共有できたらいい」の前提が大きく崩れ始めてしまった。
もちろんSNSを使っているんだから、「誰か」が読んでくれていることは当たり前。でもまさか、1日に30人近くもフォロワーさんが増え続けていくことになるとは思ってもいなくて。
こんな「個人的で些細なこと」たちを伝えてもいいんだろうか。そう臆病になって……否、面倒になってしまったわたしがいた。「書く」が仕事になったらどんなに楽しいだろう、なんて呟いていたわたしが、そんな風に思うなんて、自分でもびっくりしているのが正直なところ。
まるでアンネが「自分用に書いた日記」と「公表を期待して清書した日記」の二冊を執筆したように、わたしも今までのある種「自分用に書いたnote」を清書しなきゃいけないんじゃないか。
なんて、ちょっと戸惑ってしまっていたのかもしれない。
この間も「自分用のnote」に書きたいことはどんどん溜まっていって、メモ帳は書きたいことリストでいっぱいになっている。それなのに、noteの画面を目の前にすると手が止まってしまう。
まるで、吹いても膨らまない穴のあいた風船を吹き続けるように。
どうやら、「今より悪くなること」がこわいって感じるのは当たり前かもしれないけれど、それと同じくらい「今より良くなること」に対しても恐怖心を抱いてしまうみたいだ。
でもね、先日Twitterでかの有名なしぬ子さん(@shinukosan)のツイートが嬉しくて、こんな引用リツイートをさせていただいた。
「手話」について呟くことが当たり前の世界が、こうやって広まってくれるのうれしいなぁ。
— 🌻さんまり🌻 (@sanmari_store) April 28, 2020
しぬこさん、ありがとうございます☺︎ https://t.co/WHaNwCgB9F
そう。伝え続ければ、わたしの、私たちの「音の世界と音のない世界の狭間」を覗いてくれる人が、ひとり、またひとりと増えていく。
わたしがだれかにちょっとした思いを届けて、またその人がだれかにちょっとした思いを届けていく。それらが飛び交うとき、きっとわたしの世界は広がっていくのかもしれない。
そんなことを考えていたら、よし、ちょっくら未来を変えてみようかな、なんて思っちゃったんだよね。
ほら。だって、わたし書くことが好きだから。
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