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2023 節分
ベッドに入って数分。暗闇に目が慣れてくると、なんとなく隣に寝ている人の口の形も読み取れるようになる。まぁ、間接照明を消した後に真面目な話をすることはほとんどないし、やっぱり話が盛り上がってきたら口を読み取れるようにもう一度間接照明を付け直すのだけれども。でも、昨夜はいつもどおり「おやすみ」「うん」と言葉を交わした後はなぜかわたしだけぱっちりと目が冴えてしまって、ぼんやりと天井を眺めていた。
木目クロスの天井を眺めながらぼんやりと「あぁ、今日は2月最初の金曜日なのか」とふと思う。7年前、まだ大学生だった頃の2月最初の金曜日に、わたしは、祖母を亡くした。
その前の年の初夏にステージ4の肺がんが見つかった彼女は、国内外どこでもとびわまるキャリアウーマンで、わたしの旅好きは、彼女の影響であるところはきっと大きいんだろうなというそんな人だった。実家には、彼女がモンゴルで買ってきてくれた栞だとかトーキョーの丸善で買ってきてくれた一筆箋だとか、そういうものがたくさんある。
そして、なんの根拠もなく、家族みんなが心のどこかで「彼女は不死身なんだろうな」と思っていたもんだから、おじいちゃんどころかひいおばあちゃんまで残して、あっさりと、しかも、自宅のお風呂で亡くなってしまうだなんて、思ってもみなかった。
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7年前のあの日、バイトから帰ったわたしは、前夜に「かわいい鬼のお顔をした和菓子を見つけたの」とおばあちゃんに手渡した和菓子がお皿から無くなっているのを確認して「今日も少しでも何か食べられたのか」とほっこりしながら、野菜をザクザク切って夜ご飯の準備を始めた。この日の献立は、焼うどん。
でも、この焼うどんができるよりも前に、なかなかお風呂から上がってこないおばあちゃんを見にいくと、もう息をしていなくて。救急車を呼んで、救急隊の方が駆けつけてくれて、かかりつけ病院に運ばれて、そして、わたしが延命措置を断った。
今年1年の健康を願う節分のお菓子が、彼女の食べた最後の食べ物になってしまった。
あれから何度もの冬を超えて、その度に鬼の顔をした可愛らしいお菓子やおいなりさんを眺めながらちょっぴり複雑な気持ちになる。あのとき、「鬼の形をした何か」じゃなくて、ちゃんと「恵方巻き」だとか「豆」だとかそういうものを用意していれば、おばあちゃんはもう少し長生きできたのかもしれない。なんて、ありもしなかった未来を思っては後悔している。
だから、今年の節分はちゃんと、南南東を向きながら黙って恵方巻きを食べて、歳の数だけ豆を食べよう、そう心に誓って、わたしの心を落ち着かせて眠りについた。
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そんなわけで、今日は「買い出しに行く!」という好きな人に「お土産に恵方巻きを買ってきて欲しい」としつこく頼み込んで、お茶の先生にお裾分けしてもらった砂糖のまぶされた大豆を用意して夜を待った。(ちなみに、地元仙台の豆まきは落花生で行われるのだけれども、わたしはナッツ全般が苦手なので関東式の大豆をいただけたこと、本当に嬉しい。)
一人で食べるときには「こんな大きな巻き物を一人で食べ切れるはずがない」と怖気付いてついコンビニの納豆巻きとかで済ませてきてしまっていたけれども、180cmを超える巨人は、やっぱり大きなちゃんとした恵方巻きを一人一本ずつお土産に持ち帰ってきた。
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お願いしたからには食べねばと頬張ったそれは、想像通り大きすぎて。途中で息が詰まるかと挫けそうになりながら、なんなら彼からも「無理して食べるもんじゃあないよ。残しなよ。」と苦笑されながら、それでも南南東に向かって真剣に食べた。食べ切った。嬉しすぎてガッツポーズなんてしちゃうくらいには真剣に、恵方巻きを食べた。
そして今、砂糖のまぶされた大豆を眺めながらこのnoteを書いています。まだ、お腹が落ち着きません。彼は、またお仕事をしているので、落ち着いたタイミングでお豆を分け合っていただこうと思います。
あの日食べたのが練り切りだって、お豆だって、焼きうどんだって、恵方巻きだって、多分、運命は変わらなかったんだろうなというのは、分かっている。今更恵方巻きを食べたって、お豆を食べたって、食べなくっても、これからの人生に大きな変化はないんだろうということも、充分わかっている。
それでも、今できることたちは丁寧に紡ぎながら、それでもわたしが、わたしたちが、明日も明後日も、7年後も、その先も、平和で健やかに生きていけますようにと、願わずにはいられない。そんな、2月最初の金曜日。
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