蛇口の捻りが甘かったときのお水って、どんな音をしてこぼれているんだろう。
大なり小なり、人には「許容範囲」というものが存在するだろう。
例えば、湯船にお湯をはる頻度だったり、エアコンの設定温度だったり、寝具を洗うタイミングだったり。
先日、彼の家で朝方にトイレをしたら手洗い場の水が出なかった。しょうがないから台所で手を洗ってもう一度布団に入って、彼が起きてから「ねぇ。トイレの手洗い場、水が出ないんだけど」と伝えた。
すると「あぁ。昨夜、僕が強く締めたんだよね。さんまりちゃん、水出しっぱなしでお風呂に入っちゃったんだもん。だから、えいって!」と言って笑いながらトイレに行って、蛇口をぐいっと捻った。
シャーっと勢いよく出てくる水を眺めなが「ごめんなさい……」と謝ると、彼は「蛇口を中央まで捻ったあとはあったから、さんまりちゃんは水を止めたつもりだったんだと思うよ。僕にはチョロチョロ流れる水の音が聞こえたの。でも、きこえないんだから、こういうのはしょうがないって」とまだ笑っていた。
【水を出しっぱなしにしてしまった】はわりと聴覚障害者あるあるのミスでして。捻ったつもりの蛇口が捻れてなくて……という失敗はよく友達からもきいていた。そして、このトイレの手洗い場の蛇口はひねりが甘いと水がチョロチョロと流れたままになってしまうから、わたし自身何度も確認しては締め直したことがあった。
でも、彼いわくかなりの高頻度でわたしがトイレから出た後はこの蛇口の水が出っ放しになっているらしい。洗濯機が止まった音さえ聞こえないわたしの耳に、蛇口から溢れるチョロチョロなんて音は、きこえるわけがない。
ちなみに、お煎餅をバリバリと食べる音とかお腹が鳴る音とかたけのこの里をうまく開けられなくてビニールをカシャカシャしている音とか、彼は全部反応してくるけれど、わたしには本当に分からない。だからいつも「こんな音が気になるのか!」と教えてもらうたびに目から鱗大発見。がしかし、お水出しっ放しはさすがに大反省。
もしわたしだったら「きこえなくても、目があるでしょうに!ちゃんと確認してよね!」とプリプリしちゃう場面だったのにも関わらず「水の音の流れる音も、やっぱりさんまりちゃんにはきこえてないのねぇ。そりゃしょうがないや。」と笑ってくれる彼の許容範囲の広さにもびっくりしてしまう。神なのか、仏なのか。
これからも、わたしの当たり前とだれかの当たり前がすれ違う瞬間に出くわす機会はきっとたくさんあると思う。そんなときに、相手はどんな世界で生きているんだろうって立ち止まって、一緒に生きやすい選択肢を見つけていけたらいいなぁとそんなことを考えさせられた今回の事件。
わたしはしばらく、水をしめた感覚が分かりやすい台所で手を洗おうかなぁと思っているところ。