ラーメンを啜る距離感。
時刻は19:00、ここは新大阪。
「さぁお家に帰ろう」と意気込んで気付く。わたしたちは、空腹だということに。
一人で空腹でいるのなら、ちょいと豚まんでもかじれば良いかもしれない。がしかし、今日は隣に好きな人がいるので、どうにかしてでもお互いにご機嫌のまま帰路に着きたい。
そんなわけで、改札内にあるラーメン屋さんにやってきた。
わたしも彼もラーメンは好き。でも、二人でラーメン屋さんに来るというイベントはこの数年間で数える程度しかないと思う。というか、彼に限らず、誰かと出かけるときにラーメン屋さんに行くという選択肢は、外しがち。
というのも、わたしには聴覚障害があって。コミュニケーション方法は相手の口の形を読み取るか、手話をするか。
それなりに手話ができるような相手との会話だと、ラーメンを食べながら片手で手話をすることができる。でも、手話が得意ではない人とラーメンに行くと、以下の二パターンになりがち。
ひとつは、コミュニケーションを取らずにひたすらお互いラーメンを啜り続ける。もうひとつは、両手で正しい表現をしたり口の形を伴ったりするのに必死でお互いのラーメンが伸びてしまう。
せっかく誰かとご飯に行くのにコミュニケーションがないのは寂しいし、かといって美味しいものを美味しいままに食べられないのも惜しい。だから、ラーメンとか蕎麦とかそういう伸びてしまう麺類は選択肢から外れがち。
ちなみに彼は
"Hello. My name is Sanmari. I'm 29years old."
くらいの中学英語レベルの手話がやっとという感じなので、【わたしは音声で、彼は口の形をはっきりと動かしながらたまに知っている手話を使う】のようなコミュニケーション方法をとっている。つまり。会話をしようとしたらラーメンは伸びてしまうし、かといってデートで無言は寂しい。という理由で、外食のラーメンは、今までなんとなく避けてきた。
のだけれども。今回は2泊の旅の締めということもあってもうお互いヘロヘロで、早くお家に帰りたい‼︎が勝って、ついラーメン屋さんに吸い寄せられてしまった。
そして注文を終えて席に着いたところで「ほぉ。そういえば、この人とラーメン屋さんに来るというのは珍しいイベントかもしれない」と思ったわけで。
「疲れたねぇ」とか「結構混んでるのねぇ」とかそんな話をしながら待っていると、想像していたよりも大きな器が目の前に置かれた。
「大きいね」と思わず手話で呟くと彼も器を見て「大きい!」と手話を。そして、味変のできる食べる薬味を付け足しながら「これ、おいしいね」とかそんなことを、喋りながら。
なんなら「職場へのお土産はどうする?」みたいなやり取りまでしてしまっていた。体感的に声を出した感じはほとんどないので、恐らくこれらの会話はほとんど手話で。
わたしは彼の分かる手話表現を探しながら、彼は知っている限りの手話を使いながら、なんとなく会話をしながら大きなラーメンを完食してしまった。確かに【最近の近況報告】みたいな深いやり取りをすることはできないかもしれないけれど、深い話はラーメンを食べていないときにすれば良い。
一緒に過ごす時間が長いと「口を読み取ればなんとかなるだろう」と手話はだんだん減っていってしまうのだろうなぁと、そんなことを思っていた。けれども、一緒に過ごす時間が長いからこそ、わたしの聴こえの限界みたいなものを彼も体感的に分かってくれることが増えてきた。それにわたしも、彼の分かる手話の語彙だとかその語彙の中で紡がれていく言葉たちを受け取る技術が、ちょっとずつ、でも確実に上がってきているような気がする。
ドラマsilentで、聴覚障害のある女の子は手話をするためにハンドバッグではなくてリュックを持ち歩くシーンが話題に上がっていた。実はこれ、わたしも同じ理由で彼と付き合い始めた頃は、というか今もリュックや肩にかけられるトートバッグを持ち歩くことが多い。
でも決して、わたしたちはハンドバッグを持ち歩かないということではない。ただそれは、相手と口の形だけでもコミュニケーションができたり片手だったりハンドバッグを持ちながらの手話表現を読み取り合えるような間柄の相手と会うときは普通に持ち歩く。
ラーメンもそれと同じで、それでそれなりのやり取りが成立するのであれば、食べたいときに食べに行こうかなって。きこえる人たちだって、ラーメン屋さんではサラッとラーメンを楽しんで、その後のカフェとかで思う存分会話を楽しんでいるだろうし。
そういう、時と場合によってはラーメンも楽しめるような相手になったんだなぁと思うと、お腹も心も満たされて、新幹線ではnoteを書いたあとは、うとうとと居眠りを。
お家に帰ったら、リクローおじさんのチーズケーキを食べるんだ。るん。