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たかが踏み台、されど踏み台。
そういえば、あの踏み台はどこに行ったんだろう。
あれは確か、幼稚園の頃住んでいた家でのこと。なんでも自分でやりたい、そう思いつつ洗面台の蛇口まであと一歩手が届かなかったり、鏡に写る自分の顔が下半分にしか写らなかったり。それでも、だっこをされるのも両親にやってもらうのもなんだか釈。そんな頃。
ある日幼稚園から帰りると、あの踏み台が洗面所にポツンと置かれていた。
おそるおそる踏み台に乗ってみると、蛇口に手が届く。手洗いうがいを済ませて鏡を眺めると、自分の顔が切れることなく見えた。
それだけで急にお姉さんになった気持ちで、いつまでもいつまでも鏡を覗き込むわたしがいた。
そんなわたしを後ろからそっと母が見守っていた。
あの踏み台は高級なモノではなく、牛乳パックの空き箱に新聞紙を詰めて、キティちゃんの布で覆われただけ。
それでも。
あの踏み台に登るだけで、見える世界が大きく変わったような気がしたから不思議だよね。
あれから20何年か。
相変わらず高いところが好きなわたしがいる。
あの家には、ぽぽちゃんもいたしリカちゃんもいた。そんな中でいちばんのお気に入りは、あの母が作ってくれた踏み台だった。たぶん、わたしの持ち物の中で上位に組み込むレベルであの踏み台を愛していた。あの踏み台の上から見える景色、そして母が作ってくれたという事実。あの踏み台を愛する理由は、それだけあれば充分だと思っていた。
けれど。
作ってもらってから一年後くらい。
家を引っ越すタイミングで、あの踏み台はどこかへ行ってしまった。
今は踏み台がなくても蛇口をひねれるし、鏡に写る自分が見える。それでも、ふとした瞬間に「あの踏み台」との思い出が走馬灯のように駆け巡る。ほんのたまに。
今日もお風呂に入りながら、ふとした瞬間にあの踏み台のことが思い出された。なんでだろうな。
今日も相変わらずねむねむだから、あの踏み台が急に思い出されたのはなんでなんだろうなぁと、ぼんやりと。そして、自分がいちばん自分のことを分かっていなかったりするんじゃないか
なんてことをぐるんと考えていたら、お風呂でのぼせちゃったよ。そんな水曜日。
日付を越える前に寝ちゃうんだ。
今日もお疲れ様でした。
おやすみなさい☺︎
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