
電車を一本見送るのは、そんなに「惜しい」もんじゃないみたいだよ。
定員160名
反対方向から来た山手線の車両を窓からぼーっと眺めていると、車体にそうポツンと書いてあった。
さらっと、乗っている車両を見渡す。
ロングシートがいくつか。座れるのは、ざっと数十人。そして、座席の上に吊革が何十個か。
東京の通勤電車、ましてや山手線。地方に住んでいた頃は漠然と、ものすごく押し合いへし合い乗っているんだろうなぁ、と想像していた。
実際に通勤に使うようになってから思うのは、ドアの閉まるギリギリのタイミングがとにかく混む。つまり、ドア付近はとりあえず想像通り。でも、一本電車を見送れば、案外座れちゃったりする。というのが、実際のところ。
今年の目標の一つ
エスカレーターで立ち止まること。
余裕をもった生活をしたい、を具体化してみた結果のこれなんだけれど。これを意識したら必然的に早め早めの行動を取るようになっていて。発車すれすれの電車に飛び乗るなんてことは、ここ最近ほとんどなくなった。
それと引き換えに、一本見送って列の一番前で次発電車を待つようになった。すると、大抵の電車は座れるし立っていても車両の真ん中あたりに立つから、隣の人と押し合いへし合いになることがほとんどない。
復職してから体力に自信がないことも相まって、この「座れる通勤電車」にハマってしまっている。朝はまだ元気があるからいいけれど、帰宅ラッシュに座れるのはだいぶラク。
電車の時間ギリギリに家を飛び出して、歩いているのかは知っているのかわからないようなスピードで駅までの道をスタスタと歩いて、そのうえドアの近くで押し込まれ、お腹と背中がくっついちゃうんじゃないかと錯覚するような満員状態は案外一部だけで。当たり前のようなことだけれども、いざ自分が体感してみて、それゃ通勤するだけでヘトヘトになってたわなぁと身に染みている。
定員160名なんて言っても、乗車率が200%近い通勤電車。
地方に住んでいたら、30分とか1時間に一本しか来ないような電車も、10分くらい待てば大抵やってくる。ギリギリ滑り込みwomanだったわたしは、その10分を惜しいと思っていた。でも、いざやってみたら座れる方が読書だって英語学習だって妄想だって居眠りだってゆっくりできちゃうんだから、惜しむものではなかったのかもしれないなぁなんて思っている。
明日も余裕をもって家を出て、エスカレーターは立ち止まり、座ったりちょっと余裕のある場所から車窓を眺めて通勤しよう。
今日もお疲れ様でした。
おやすみなさい☺︎
いいなと思ったら応援しよう!
