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みんながいつも「ここ」にいてくれるということ。 #旅と写真と文章と

年齢を重ねるごとに、わたしの周りは好きな人だらけになっている。

学生時代、特に公立の中学校に通った3年間は8クラスもあるヤンキー排出マンモス校に通っていたこともあって、とにかくいろんな人がいた。お家が白い壁に囲まれていかついお兄さんが出入りしている子もいたし、お腹を空かせてご近所中の家を尋ねてはお菓子をせがむ子もいたし、高層マンションから日傘をさして登校してくるお嬢様もいた。

とにかくなんでもありの中学校だったけれど、いろんな背景をもつ友達ができたあの頃は、今のところ人生を通じて一生仲良くしていくんだろうなという友達もいたし、この子とは一生交わることはないんだろうな、と思う友達もいた。でも不思議なのは、合う子も合わない子も「友達」だと思えていたということ。

歳を重ねるにつれて、たくさんの人と出会っていくけれど、そのうちのほとんどは「知り合い」というカテゴリに括られて、本当に気が合う人を「友達」とか「仲間」と認識するようになっていっているような、そんな気がする。たぶん、「友達」とか「仲間」といえる人は、良い意味なのか悪い意味なのか、減ってきているんじゃないかなって。

だから、この歳になって「会いたいね」と呟きあって両手では数えきれないほどの仲間が集って、おいしいご飯を目の前に「ここ最近の近況は?」というテーマだけで2時間も3時間も盛り上がれるのは、本当に奇跡なんじゃないかと思う。

そしてわたしには、そんな奇跡みたいな仲間がいて、昨夜は彼らとの時間を過ごしてきた。だがしかし、 #旅と写真と文章と たったそれだけの、でも充分すぎるだけのスキの共通点をもったみんながなにを言っていたのか、聴覚障害があって補聴器を装用しているわたしには多分3割くらいしか分からない。びっくりするほど、分からなかった。

補聴器が拾えるのは、わたしの左側、頑張って1.5Mくらいの範囲内。あとは、口の形を読み取って。となると、限界は3人というところだろうか。だから、本当に好きな人たちと一緒じゃないと、心が折れてしまう。そういう意味で、このご時世「付き合いの飲み会がなくなった」というのは、かなり好都合だった。

それでも、わたしは、昨夜あそこにいられて心底幸せだったと思う。だって、みんなのことが大好きなんだもん。

そう胸を張って言えるくらい、ここ数年で彼らとはオンラインでもオフラインでもちまちまと集まっていた。それぞれみんな、どんな人たちか知っていて、そんな好きな人たちが今ここに集って笑っているというそれだけで、もうわたしは充分幸せだった。

あと、今ここで話が分からなくても多分、個人的にまたチマチマと集って、そのときに具体的なことを教えて貰えばいっかな。むしろ、「この前席が遠くてどんな話してたか分からなかったから、もう一回会おう」とみんなを誘う口実ができちゃったなぁ、と余韻に浸っていたり。

そんなわけなので、昨夜お会いできたみなさんも、そうでないみなさんも、#旅と写真と文章と ではないわたしの大好きなみなさんも、気軽にお誘いあわせください。尻尾を振りながら、とんでいきます。

photo by tomomi.isa

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🌻さんまり🌻
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