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呼び捨て
わたしは、転勤族育ち。といってもひとつの土地にわりと長く住むタイプだったので、小学校を仙台で、中高を小倉で、大学を仙台で、大学院を兵庫で、そして今関東にいる。
過ごした年齢も関係するんだろうけれども、仙台は下の【名前呼び捨て】、小倉は名前からとって【まり】、そして大学院から現在まではだいたい【下の名前+ちゃん】と呼ばれることが多かった。だから、SNSに書くときも誰かから話しかけられている場面を描くときはとりあえず、ここ最近一番呼ばれ慣れているもののように【さんまりちゃん】と統一して書いている。
当たり前だけど、オトナになって呼び捨てで呼んでくれる人は、家族とか本当に近しい人たちだけになったなぁと思う。そこまで近しいともはや、「ねぇねぇ……」みたいな名前さえ呼ばれないことも増えたような気もするけれど、そんなもんだよね。わたしもオトナになってから出会ったお友達は【下の名前+ちゃんorさん】って呼ぶことが多いもん。
だから、久しぶりに「まりなはさぁ……」なんて呼び捨てで呼ばれた日には、なんだかドキンとしてしまった。こそばゆいというか、ホームに帰ってきたんだなぁみたいなあったかい気持ち。だって、ナチュラルに呼び捨てができるってことは、それだけ長い時間かけて関係を築いてきた歴史があるわけじゃない。
ただ呼ばれたいとか呼びたいとか、それだけでできるようなことでもない。オトナだもの。
わたしを呼び捨てで呼んでくれる人たちのことはもちろん、わたしも呼び捨てで呼んできた歴史がある。だから、ちょっと照れくさいけれども「ねぇねぇ」じゃなくてちゃんと名前を呼んでみる。
たったそれだけで、わたしには帰りたいと思える場所がちゃんとあるんだなぁと再確認できるような、そんな気がする。呼び捨てで呼びたい人と呼び捨てで呼んでくれる人が、これから先どれだけいるだろう。
わたしがその隣を安心できるところだと思うように、わたしが呼び捨てすることで、大切な誰かがわたしの隣を心地よいと思ってくれたら、どれだけ幸せなことだろう。
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