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音の世界と音のない世界の狭間で

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聴覚障害のこと。わたしのきこえのことを、つらつらと。
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#補聴器

聴覚障害のあるわたしが、藤原さくらちゃんのライブにひとりで参戦した話。

いま、わたしは、とても夢見心地な気分です。 遡ること、6時間半前。とにかく「暑い」以外の台詞が何ひとつ思い浮かばない。そんな、気温30℃越えの東京は、八重洲ミッドタウン。数日前に、TwitterだかInstagramのお知らせで見つけたFUJI ROCK WEEK へ、藤原さくらちゃんのうたを聴きたくて、この地へ。 正直、会場に行くかどうかは昨夜までずっと悩んでいた。というのも、わたしは聴覚障害者で補聴器を付けていて。思いのほかペラペラ喋るので誤解されやすいけれども、機械

線と線が交わる瞬間を、日々紡いでいきたいだけで。

わたしの聴力は、補聴器を外すと右耳が120dB↑で左耳が70dBくらい。0dBが、キコエル人が聴き取れる最小の音量と言われているので、数字が大きければ大きいほどキコエナイということ。 つまり、右耳は耳元で飛行機のエンジンが鳴ってても音が分からないくらいの最重度の難聴で、左耳は救急車のサイレンがキコエル程度。と言っても、わたしは救急車のサイレンもよっぽど周りが静かで目の前を通るタイミングじゃないと聴き取れない。蝉の鳴き声だって、分からないぞ。と、今この表を眺めては首を傾げてい

音の世界と音のない世界と「みる」力。

「聴覚障害があるんです」 とカミングアウトすると、ときたまこんな返事が返ってくる。 「ってことは、そのぶんみる能力が優れているんですか?」 視覚障害のあるピアニスト、知的障害のあるアーティスト、ダウン症の書道家……。世の中は、障害者には特別な才能があると思い込みすぎなんじゃないだろうか。まぁ確かに、特に秀でた才能のない障害者なんて掬いようがないと言われればそれまでなのだけれども。 ちなみに、わたしは裸眼視力0.03で幼少期には斜視もあった。今でも補聴器とコンタクトを外

声と手話とその狭間で

聴覚障害のあるわたしには、コミュニケーションモードが3つある。 ひとつは、音声。この日本という国で暮らしていると、やっぱり音声日本語を使う人が圧倒的に多いので。高校卒業まではこの音声日本語というコミュニケーションモードだけで生きてきたのもあって、これはわたしの第一言語。 もうひとつは、手話。これは、音声を伴わない方。大学に入ってから使い始めた手話も、気づけばもう10年以上わたしのコミュニケーションモードとして思考の言語としていつもそばに居てくれている。手話で受け取った情報

電池兄弟

わたしの使っている補聴器は、空気電池を入れて使っている。今は充電式のものも出ているらしいんだけれども、相変わらず電池式のものを使っている。 おなじみの細長いアルカリ電池は、太さによって単三とか単四とか電池の種類が分けられている。それと同じように、補聴器の電池は直径の大きさごとに黄色の10A、茶色の312、オレンジの13、青色の675の4種類。 補聴器の大きさによって、使う電池がかわってくる。経験的に、電池が大きいほうが持ちも良い気がしている。 今日も、外出先で電池が切れ

FIFAワールドカップ 2022 初戦視聴の実際と妄想と #音の世界と音のない世界の狭間で

昨夜はえらく盛り上がりましたね、W杯日本代表戦 前回のW杯は、社会人1年目のとき。確か、テレビ線とMacBookを繋いで試合を追っていたあの頃から4年。我が家からは完全にテレビが撤退しまして、今大会はAbemaで観戦。 がしかし、Abemaって実況の字幕つかないんですよ。補聴器とiPhoneをBluetoothで繋げばいけるのかなと思いつつ、やっぱりテレビで観たい!と思って実家へ。 今回3つの視聴方法を試したのと、理想の視聴方法も妄想したので、備忘録としてnoteに。

お耳のこと。互いに理解するために、歩み寄ろうとするだけの材料を。

今日は、昨日の夜に放送されたドラマ「silent」のまとめ動画やみなさんの感想がドバッとSNSに流れてくるので、なんとなくおセンチな気持ちになります。 右耳は生まれつき、左耳は高校卒業くらいから聴こえにくくなってきて、今は左耳に白い補聴器をして暮らしています。第一言語は日本語、第二言語は手話のさんまりです。こんばんは。 今でこそ「音声も手話も使って生活しています」と胸を張って言えるけれど、わたしにも と声を出さないで手話で生活していた時期が、ちょぴっとあったりなかったり

お耳の先輩と漆琳堂工房見学ツアーと@福井

なぜだろう。 わたしのまわりは、聴覚障害者であふれている。 いつもnote読んでくださっている方は充分承知だと思うのだけれども、このnoteを初めて読んだ方にとっては初めましてのカミングアウトをすると、わたしは聴覚障害者です。 あの、木曜日の22時からやっているsilentというドラマで、イケメン俳優目黒蓮さんが演じている男の子のように、高校生くらいからぐっと聞こえなくなって、今は補聴器をつけて生活しています。 ちょっと違うのは、家族以外の前でも声を出すこと。あと、口の

聴覚障害のあるわたしと、耳に入ってきたらテンションがあがる音〜6月6日補聴器の日〜

「趣味はなに?」「特技はなに?」みたいな話題があがるたびに、こう答えるようになって数年。この延長線上でよく尋ねられることに、こんな質問がある。 「好きな音楽はなに?」 出会ったばかり、これから相手のことを知っていこう、そんなタイミングでわりと無難そうなその質問は、往々にしてわたしの周りの空気を凍らせる。 よく見ると、わたしの左耳には小型機器が掛かっていて。相手はその白い塊とわたしの顔を交互に見ながら、バツの悪そうな顔をする。 わたしは、聴覚障害者 相手はきっと、社交

マジマジと見つめられた視線の先で、この世界に惚れ直した。ちょっとだけ。

補聴器をつけることや手話をすることは、わたしにとって必要なこと。だけれど、それをマジマジと見つめられる視線が、なんだか苦手だった。「わたしは聴覚障害者です!」と宣言しながら歩いているようで、それがとっても恥ずかしい気がしていた。 *** ヘロヘロバタバタな平日を終えて、やっと迎えた土曜日。「今日くらい……」とお昼頃までベッドでゴロゴロして、軽くおうどんを食べた昼下がり。 平日は軽く済ませるお化粧もちょっぴり丁寧に時間をかけて、いつもは黒いゴムで束ねるだけの髪型も一手間掛

お空にひびけピリカピララ♪音のある生活は年中無休。

周りの人の声、街中を流れるBGM、緊急車両の鳴らすサイレン音……。わたしたちは、たくさんの「音」に囲まれて生活している。聴覚障害のあるわたしもそんな環境に生きるうちのひとりだ。補聴器を付けて、意識的に音を聴いているときは、という条件付きだけれども。 ここ最近の補聴技術は、目に見えて進歩している。ついにわたしの補聴器は、iPhoneとBluetooth接続ができるようになった。 おかげで、手話ができない聴こえる人たちとも気軽に zoom や LINE でつながることができる

ヘロヘロなのに、気付いたら1,000字も言葉を綴っていた。

今日は、久しぶりの出張があったり、ものすごく耳を使ったりして疲れ果ててしまったので、いつもの2,000字近いnote更新はおやすみ。 ためになるお話からたくさん勉強できてとても充実した一日だったんだけど、「集中して聴く」に吸い取られるエネルギー量もそれに比例して消費してしまったみたいだ。 学生時代は90分講義を5コマ連続、そしてほぼ全ての講義を補聴器と文字通訳で受けていたというのに。今日は、4コマ分くらいの時間だったけど、びっくりするくらい疲れている。 ただひたすら講演

もう、マンゴーをカゴに入れるようなことはしないように。

最近どうも、男の人の声が、聴き取れない。 「もらえるものはもらっておこう」もほどほどに。に書いたように、今、新しい補聴器を借りて試聴していまして。気付いたら、この補聴器との生活も、そろそろ2ヶ月になる。 こんなに長い間借りても良いのか?!とも思いながら、3週に一度くらい音の調整をしてもらいながら、試聴を続けている。 補聴器を変えてみて、言葉が聴き取れる割合がグッと上がった。普通の音声での会話は大体60dBくらいと言われているんだけれど、この60dBで大体65%くらいの言

「もらえるものはもらっておこう」もほどほどに。

外出したとき、ヒヤッとする瞬間ベスト3に 補聴器の電池がなくなりそう かつ 替えの電池を持っていないとき がランクインする。そして昨日、ついにそのトキがやってきてしまった。 先日「補聴器とiPhoneが、はじめてBluetoothで繋がった日のこと。」にも書いたんだけど、今わたしは新しい補聴器の試聴をしている。 眼鏡やコンタクトを装用して生活している人は、このnoteを読んでくださっている方々の中にも多いのではないかと思う。かくいうわたしも、眼鏡を小学2年生から、コン