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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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#音の世界と音のない世界の狭間で

待ち合わせ 結局今年も 小走りで

友人との待ち合わせ時間を一時間勘違いして、早めに駅に来てしまった。あてもなく駅ビルをふらふらしようと、とりあえずエスカレーターで上へ上へ。 一番上の階に到着して「さぁ、どこから回ろうか」と辺りを見渡すと、見知った顔が目の前に現れた。 大学時代の恩師だ。 いや、ここは新幹線も止まるようなターミナル駅。そんなわけないだろうと三度見くらいしたけれど、やっぱりこれは、あの、大学時代の恩師だ。 大きく手を振りながら近づいていくと、わたしの顔を見て目を大きく見開いた彼が次の瞬間に

のべ14ヶ所の旅と39のART鑑賞をした2023年の振り返り

あっという間に、2023年も年の瀬を迎えてしまった。あっという間。今年は良くも悪くも大変ドラマチックな1年だったので、2024年は健やかに穏やかに暮らしたい。もう、ただそれだけ。 とりあえず、大晦日くらいは今年を振り返ってみようかななんて思って、今久しぶりにPC版のnoteエディターを開いているところ。おとなしく過ごしていたつもりだったけれども、振り返るとちゃっかり旅もARTも堪能した1年で5,000字越えのnoteに戦慄している大晦日の23:00。 1月 4ヶ所昨年の末

毎日更新1周年をむかえました!

noteの毎日更新を再開して、365日が過ぎた。つまり今日は、1周年記念日。 長かったような、あっという間のような。でも、200日を越えたあたりからはもう、食後の歯磨きのように生活の一部になっていて。言葉を綴らないで眠るなんて、むず痒い。 そんなわたしがnote毎日更新をはじめたきっかけは、お仕事に行けなくなってしまったこと。これは、今まであまり大きな声では言ってこなかったことなんだけれども、そうなんです。自分でもそんな自分が認められなかったし、原因も復活できる方法も本当

そもそも見えないことには #音の世界と音のない世界の狭間で 生きにくいので。

ストレスとか疲労とかそういうのが溜まると、弱いところに出やすい。ちなみにわたしは、眼科系と婦人科系と呼吸器系。ものもらいができたり、生理不順になったり、喘息になったりする。学生時代は、季節の変わり目のたびに声が出なくなっていた。 ストレスでお耳が……みたいなのもよく目にするけれども、わたしの右耳は生まれつき全く聴こえないので、これ以上悪くなることがない。こんなにも全く聴こえない状態は耳鼻科の先生でもなかなか見ないらしい。 左耳は、物心ついた頃から年々徐々に聴力低下していて

地震・親父・雷

朝方4時過ぎ。緊急地震速報で飛び起きた。補聴器を外して寝ているわたしにも微かに音が聞こえたんだから、本当におっきな音だったんだろうと思う。ちなみにわたしは、音じゃなくてバイブレーションの振動で目覚めた。 目が覚めてまだ外が暗いというのに、iPhoneがチカチカ光っている。これが緊急地震速報で、これから大きな揺れがやってくるということは認識できた。でも、寝ぼけ眼の状態では、次に何をしたら良いのか分からない。 幸いキッチンのガスの元栓は閉めて寝ていたし、寝室には倒れてくるよう

音の世界と音のない世界の狭間と手に入れたコンタクト。

年末に、コンタクトが割れてしまった。 きこえにくい分、視覚で情報を得ているわたしにとって、これは一大事。結局、度数やレンズの直径が特殊なため、新しいコンタクトレンズがわたしの手元にやってきたのは一月も一週目を終えようとする頃だった。 新しいコンタクトレンズが届いてからこの二週間。 まず、人通りの多い場所ですれ違う人やモノと衝突することがなくなった。多分、遠近の感覚が掴めるようになったから。キコエル人たちは音も使って遠近感を把握しているというけれども、そのあたりわたしは片

蛇口の捻りが甘かったときのお水って、どんな音をしてこぼれているんだろう。

大なり小なり、人には「許容範囲」というものが存在するだろう。 例えば、湯船にお湯をはる頻度だったり、エアコンの設定温度だったり、寝具を洗うタイミングだったり。 先日、彼の家で朝方にトイレをしたら手洗い場の水が出なかった。しょうがないから台所で手を洗ってもう一度布団に入って、彼が起きてから「ねぇ。トイレの手洗い場、水が出ないんだけど」と伝えた。 すると「あぁ。昨夜、僕が強く締めたんだよね。さんまりちゃん、水出しっぱなしでお風呂に入っちゃったんだもん。だから、えいって!」と

2022年もありがとうございました!

クリスマスあたりからの毎日は「年の瀬」を言い訳に、会いたい人たちに思う存分会って浮き足立っていたので、気づいたら大晦日の日の入りの時間を迎えようとしている。 今年は精神的にも本当に苦しいなぁと思うことがたくさんあって。正直「書く」どころではなかった時期も長かったけれども。それでも、年末に会いたかった人たちみんなに支えてもらって、「数年後こうなりたいな」というオトナたちに抱きしめてもらいながら一歩一歩踏みしめて、ちょっと足取りが軽くなって12月。 それでも、「ことばが好き」

次は「そろそろお誕生日だし」って誘うんだ。

年の瀬だから 12月は、そう言い訳すれば大好きな人たちにとことん会えるので本当に楽しい季節だなぁと思う。クリスマスのウキウキ感が過ぎ去って、世の中がゆっくり今年の終わりに向けてペースダウンしていくこの空気感が、毎年なんともいえなく好きでたまらない。 普段、 #音の世界と音のない世界の狭間で それぞれ生きるわたしたちも、年末はこっそり待ち合わせて、夜の街を音のない口形と手話でわいわいと練り歩く。 わたしたちはともに、普段の生活では主に補聴器を活用して生活していて。四六時中

動かざること山の如し。

トーキョーに来るときは、いつでもお相手するね。 と約束している友達が、この冬も遊びに来てくれたのでホテルステイをしに、OMO5東京大塚by星野リゾートへお邪魔してきた。 お部屋は「やぐらルーム」という秘密基地のような空間。おしゃべりスペースと睡眠スペースが上と下で分かれているので、夜な夜な盛り上がるおしゃべりタイムは、寝具が汚れる心配をせずにちょっとしたモノを摘めて最高。 バストイレが別スペースかつ浴室には洗い場と浴槽がちゃんとあるので、お風呂もゆっくり過ごせて、「お風

何をするか、誰と共有したいか、共有したいと思ってくれる人がいるということ。

同じ本を何度も読む とか 同じ映画を何度も見る とか 結末を知ってても、それでも同じものをみてしまうときがある。たとえば、数年の月日が流れてストーリーが朧げになっているときとか、お勧めしたい誰かと一緒にみたいときとか。 この週末最初の夜は、W杯の決勝戦をフルで観戦して、もうひとつの夜はネットドラマを一気見して、そのテンションで歌を歌った。 W杯の決勝当日は友達とLINEでお喋りしながら自宅で一人観戦をしていたのだけれども。どうやら彼は仕事が忙しかったようで、観戦できなか

「たいしたことないんだけどね」こそ「たいしたことある」のよ。

クリスマスイヴのお昼。家の前の急な坂道をやっと下ったその先で目に入ったのが、ご近所のギョーザ屋さん。 本当はショッピングモールに行く予定だったのだけれども、2年前にお引越しをしたときからずっと気になっていたそのお店がちょうど開いていたので、入ってみることにした。 店内に入ると、彼は迷わずテーブル席を選んでくれる。わたしとの会話は特に外では手話や口の読み取りが中心になるから、カウンター席よりも向かい合わせの方が都合が良い。 メニューはシンプルに ・ライス ・半ライス ・ギ

音の世界と音のない世界の狭間と視えにくい病院と

日々 #音の世界と音のない世界の狭間で と聴覚障害のあるわたしの生活のあれやこれやをここに綴っているのですが、わたし目も悪くてですね。 特に小さい頃は、ひとつのものを見ているつもりでも左右どちらかの視線が外側に向かってしまう【外斜視】という病気があって。その治療で強めの眼鏡をかけていたら弱視が酷くなってしまったので、中学生の頃からずっとハードコンタクトの愛用者。 眼鏡だと度が強すぎて世界が歪んでしまうし、ソフトコンタクトだとドライアイが酷くて終日付けていられない。でも、レ

音の世界と音のない世界と視えにくい日。

の究極の二択があるとしたら、迷わず【まったく聴こえなくなる】を選ぶと思う。見えれば手話や筆談をすれば良いし、生まれてこのかた【正常なきこえ】というものをまったく経験したことがないので、音がないことに対する抵抗感は小さい。 でもそのぶん【視ること】に神経を研ぎ澄まして生きているので、視えなくなってしまったらもうどうしたら良いかわからないと思う。 だというのに。 目を覚まして、トイレを済ませて、歯を磨いて、「さぁコンタクトをつけよう」とコンタクトケースをあけたら、右眼に入れ