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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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#聴覚障害

記念日がたくさんあるカップルは、続きやすいらしい。

はじめてこのnoteというプラットフォームに自分のことばを書いた日を、割とよく覚えている。 確かあれは、ちょうど2年前の七夕の日。 「文を書くことと読むことが好き」と言いつつも、Twitterの140字には収まらないし、Facebookにはあまりにも知り合いが多すぎる。しかも、学生時代の恩師なんかもいて、ちょっぴり小っ恥ずかしい。 そんなことを考えていたときに、当時入って1週間足らずだったオンラインコミュニティ #旅と写真と文章と のメンバーから「やさしい世界があるよ」

大切な友達との大切な時間を掬ってくれたのは、手話だった。

最後の一瞬まで、語り尽くす。 高速バスの中と外で、こんなにも楽しそうに喋り続ける人たちは、周りにはきっといない。せいぜい手を振っているだけ。そんな中わたしたちは、大好きな友達との別れを、最後の一瞬まで楽しみ尽くした。 東北は、広い。 隣県へ行くのにも高速バスや新幹線を利用する。関東では神奈川や埼玉から都内に通勤する人がごまんといるけれど、仙台から盛岡まではちょっとした旅になる。 友人との別れ際。まだまだ話し足りないことがたくさんある。駅へ向かう道中、友人は手話を使うこ

世界をちょっぴり近く感じられるように、がんばってみようかな。そう思えたのは、やっぱりひとりじゃないからで。

言語は世界の限界である。 なんていうらしい。 #旅とフェス で手話講座をすることになって、改めて「音の世界と音のない世界の狭間」ってどこなんだろうかと問い直すことがあって。 発達障害と肢体不自由の当事者研究や、  視覚障害を美学の視点から問い直した本 を読み直してみた。 聴覚以外の障害者の多くは日本語を用いているから、日本語での説明がとても上手い。障害種は違えども似た様な困り感をもつことがあるから、こうやって日本語で説明している文献たちはわたしの状態を言語化するのに

【募集】世界をちょっぴり近くする、手話講座

「音の世界と音のない世界の狭間」の架け橋になりたい 心のどこかでずっと思ってきた。けれど、なかなか自分の中でイメージが湧かないままでいた。 そんなある日、わたしの所属するオンラインコミュニティ #旅と写真と文章と で「  #旅とフェス  」というイベントをすることになった。 わたしが音の世界へ積極的に繰り出そうとするきっかけとなったこのコミュニティでなら、きっと、一歩踏み出せる。根拠はないけど、そう思った。 恐る恐る 「わたしも、手話企画やってみたいです」 そう手

手で紡ぐ。それだけで、世界がまったく違って見えた。

全然大丈夫なんかじゃなかった。 わたしはやっぱり 音のない世界の住人だった。 聴き慣れている人の声だし、通訳なんていらないんじゃないか。全部じゃなくても手話もつけてくれているし。そう思っていた。 そんなある日、職場の研修で手話通訳をつけてもらった。補聴器を通して上司の声をきく。 「先ほどは、ステージで不備があり申し訳ございませんでした」 ふーん。ステージで不備があったのね。よくわかんないけど。 そう思って手話通訳を見ると 「先ほどお配りした指定資料に、不備がありま

#旅と写真と文章と 手話配信にも挑戦するんだ。

秋も深まり、17時にはすっかり真っ暗。恵比寿から新宿までの山手線が、ガタゴトと揺れる。ゴーという電車の音が、永遠のように感じられた。いや、永遠に続いたらいいのにと思った。 でも、わたしのそんな思いとは裏腹に山手線はきっちり10分でわたしたちを新宿駅へと運んだ。 世界一の平均乗降者数を誇る新宿駅。その西口へ行くと、 #旅と写真と文章と のメンバーが集まっていた。 #千鳥足フォトウォーク と称してAutumn初のフォトウォーク。企画が発表されてからつい数時間前までは、とっても楽

わたしの言語がそこにあることを、まじまじと感じた。

音の世界と音のない世界の狭間。きこえる友達、きこえる家族に囲まれて、日本語でnoteを書く。補聴器を外しても、言葉にならないにしても音は入る。わたしは、狭間といっても圧倒的に音の世界側の住人だと信じて疑っていなかった。 10月に入って、どうも調子が悪い。 ちょっと、おしゃべりをしたいな。 そう思って、ろうの友人を誘ってご飯に行った。 彼を一目見た瞬間に、わたしの心に溜まっていた想いが溢れてきた。声は出していなかったから、音としては静か。でも、あんまりにも洪水のようにとめど

空ってなんで、こんなにもきれいなんだろう。

わたしとわたしの周りが、笑顔で「おはよう」と言える朝がやってきた。 本当は、少し不安だった。 カーテンを開けて窓ガラスが割れていたら。。。 家の前の道路が冠水していたら。。。 ベランダに大きなものが飛んできていたら。。。 エアコンの室外機が、落っこちていたら。。。 遮光カーテンなのに、そのわずかな隙間から光が漏れてくる。これは、期待しても良いんじゃないか。 不安とわくわくが入り混じった、不思議な気持ちでカーテンと壁に貼り付けていたテープを剥がして、カーテンを開ける。

「心配しすぎだったね」 そう言って笑いあえる朝を迎えられますように。

台風がやってくる。 昨夜はいそいそと非常用バックを作り、ベッドやコンセント類を窓際から部屋の奥へと移した。 朝起きて、いつも通りトイレに行く。 いつもより、ブルーレットの香りがしない。 なんだかおかしい。 でも、今のうちだと朝から洗濯をしてついでに衣替えをして、洗濯機とお風呂場に水嚢を置いた。 と、外から防災無線っぽい音がきこえる。でも、何を言っているのかはわからない。 テレビを一日中付けて音を聞き続けるのもしんどい。そもそも、パソコンからしか見られないし、テレビ線を繋

同じ場を、同じタイミングで共有したいじゃん。だって。

春先のある日。友人から一通のラインが届いた。 「7月に中野サンプラザで藤原さくらちゃんのライブがあるんだけど、行かない?」 前回ライブに行ったのは、かれこれ5年前。 あの時は、まだ左耳の聴力も今よりは若干良くて、補聴器もしていなかった(結局この時のMCはよく聴き取れていなかったけど)。あの頃以来のライブだ。 ちょっと不安だったけれど、 さくらちゃん、たまにきくしなぁ。。。 くらいのノリで 「行く行く!」 と二つ返事をした。 当日。 中央線の車内で友人と待ち合わせていざ中

ことばに残したいわたしの気持ちたち。

周りの人の口の形を読み取ること。補聴器からきこえてくる音を繋ぎ合わせること。手話。 これらを組み合わせて、わたしは音の世界とつながっている。 この世の中は、音の世界で生きている人が圧倒的多数だ。全ての情報を受け取れないことが多いわたしにとって、「わからないこと」は生活の一部になっている。と思う。 「きこえなかったら教えてね」 「分からなかったら言ってね」 と言ってくれる人はもちろんいる。 それでも、「きこえてない」ことは認識できないんだから教えられないし、わたしの中では受

「障害を受容しきる」なんてことは、あるのだろうか。

「この子、人工内耳だよね。ってことは、あれか。この子の保護者は、自分の子どもがきこえないってことを受容してないやつですね。」 そう、彼は言い切った。 この言葉をきいた(正確には手話だったので、見た)瞬間、怒りで涙が出てきそうになった。 お前に、何がわかるんだ。 と。 この言葉を放った彼は、聴者だ。そして、10年以上聴覚障害者とかかわってきている。もちろん聴覚障害のある子どもから大人、きこえない子をもつ親とも。そんな彼から放たれたということもまた、強い衝撃だった。 わ

無意識のわたしからのメッセージ。

ねぇ、知ってる? 寝言が手話だったよ。 そんなことを、言われたことがある。 周りに手話を使える人がほとんどいなかった大学院生時代のこと。 毎日ほとんど音声でコミュニケーションを取り、頭の中の思考も日本語でしていたつもりだったわたしは、その一言が信じられなかった。 ここ最近、夢を見ることが多い。そういえば、いつからか夢の中でのわたしは音声だけでなく、手話も使っているような気がする。 音声と手話。 どちらも、わたしの生活に欠かせないものになりつつあるみたいだ。 手話を使い始

手話が出ちゃうのは、きこえてない合図なんだって。

あ、手が出ちゃった。 きこえる友達と一緒にいるのに、ふとした瞬間に手話が出てしまう。たぶん、そんなときは、自分の声がきこえてないとき。 きこえる人は無意識にお喋りをしながら自分の声をきいてフィードバックしている。 でも、わたしはいくら補聴器を付けていても、自分の声を全てフィードバックできない。たとえば、人混み・地下鉄の中・バックミュージックが大きなお店……。 自分の声がきこえなくなると、どうやら手が出るらしい。手話で自分の発信をフィードバックすると、落ち着くのだ。 わたし